マンスリーアーカイブ 2月 2007

外邪 六淫について

自然界の営みというものは四季に従い 常に変化し続けるものである。 その営みは、正常を状況では万物をよく 成長、発育させるものである。 つまり、 「天に四時五行あり。もって成長収蔵し、もって寒暑燥湿風を生ず」 「寒暑燥湿風火は天の陰陽なり。三陰三陽は上にこれを奉く。 木火土金水火は地の陰陽なり。成長化収蔵は下にこれに応ず。」 というのである。 そこには、 適度な風 適度な寒さ 適度な暑さ 適度な湿気 適度な燥き 適度な火 が、地域や季節によってそのバランスは異なるとは言えど、 その運気に応じた営みが行われているものである。 しかし、四季が崩れたり、 寒いはずの冬に妙に温かい日が続いたり、 逆に夏が寒かったりなど、 季節外れな環境になると、自然の営みが今度は 人体を侵し始め、疾病を引き起こす。 これを「六淫」或いは 「六邪」と呼ぶ。 これに対して、六種の正常な自然の営みを 「六気」と呼ぶ。 六淫とは、つまり 風邪 寒邪 暑邪 湿邪 燥邪 火邪の六つがこれなり。   風 春の主気 五臓では”肝”に相応する。 この風は体の皮膚表面(皮毛という)から侵入しやすい。 ○風は百病の長である 風邪(ふうじゃ)はとても動きが早く、変化が多様である。 どのようなところには隙あらば侵入しようとする邪気と言える。 ○善く(よく)行り(めぐり)数々(しばしば)変ず。 風はその侵す部位も一定せず、あちこちを荒らしまわす。 自然界の風を想像してみて下さい。 ピューピューと吹いて 早いでしょう。 形もない。 取り留めのない邪気がこの風。 変化自体も早いので、他の邪気があれば それと合わさって体を侵すのが得意で、 ころころ状態を変える器用な邪気です。 まるでゲゲゲのキタロウの「ねずみ男」みたいですね。 寒 冬の主気 寒は侵入部位によって 以下の傷寒と中寒に分けられる。 傷寒 皮膚表面から侵入するもの 中寒 直接臓腑を犯すもの。 次に、寒の特徴を挙げよう ○陰邪であり陽気を損傷させる。 寒が表(皮膚表面)を犯すと、ソウ理(毛穴)が閉まり、 悪寒や悪風がして毛が逆立つ。 裏(体の臓腑に影響する)を損傷すると、下痢をしたり四肢(手足)や体が冷えてしまう。 ○寒は凝滞、収引を主る 気血はのびやかに流れていなければならないのに、 気血がギューッと凝縮しようとするので流れが阻害されて滞り、持病で痛みのあるものなどは悪化する。 冷えて頭がギューッといたくなる、あれである。 寒が関節や経絡に入ると、関節を曲げにくくなったり、 気血の流れが阻害されると痺れがでたりする。 暑 夏の主気 『素問』五運行大論篇に、 「それ天にありては熱となし、地にありては火となし・・・その性は暑である。」とあるように、天地における火熱の気である。 特徴を挙げよう。 ○陽邪でありその性質は炎熱である。 熱エネルギーであるから体を侵すと、体内に熱がこもり、 極まるにしたがって、体内の津液(体に有用な水分)を 蒸発させてしまうのであり、高熱、口渇、 尿の色が濃くなるなどの症状が現れる。 また『素問』生気通天論に 「暑によりて、汗し、煩すればすなわち喘喝し、 静かなればすなわち言多く、体は燔炭のごとく、 汗出ずんれば散ずる」ともある。 ○暑の性質は昇散であり、気や津液を消耗させる。 「暑ければすなわち皮膚緩みて奏理開く」とあるように、 暑邪に侵されると奏理(毛穴)が開き汗が止まらなくなる。 また暑邪が、直接心包という経絡を損傷して火盛がため、 風を発生させるので、昏厥・抽搐(ちゅうちく:四肢のコントロールできないひきつり)といった証が現れることもある。 これに対して、葉天士は「夏に熱を感受すれば混迷して 驚証のようになる・・・それは熱気が孔竅を閉塞したためであり、 邪は絡に入る」と述べている。 驚証とは手足のひきつけ、意識の昏迷を主症状とする病症である。 湿 湿は長夏の主気。 長夏とは夏~秋の間で、大暑~白までの期間をいう。 この時期天の気は下降し、地の気は昇るため、 その中の人は湿邪を最も感受しやすい状況となる。 『直指方』に曰く 「天気が下降し、地気が上騰し、二気が燻蒸すれば湿になる」である。 湿はどのようにすれば体に溜まるのか。 1つは、外湿を受けるということ 長時間、外作業をしたり、湿気の多い場所にいたりすると、 外界の湿が体内に侵入するのである。 もう1つは内生。 内臓の弱りで、体の中で作り出す湿邪である。 脾胃という臓腑があるが、この脾胃は栄養分(飲食物)を吸収して、 気血を生成する働きがあるのだが、これが弱ると、 飲食物をうまく処理できず、体にゴミとして残ってしまう。 これを湿邪という。 この時、同時に栄養分をうまく吸収できないので、湿邪は溜まるし、 栄養も取れないという非常に効率の悪い状況になる。 ○湿は重く濁った邪であり、粘滞の性質をもつ 体が湿に侵されると、 頭は包み込まれたように重くなり、 手足はだるくて重い、 関節が重いなど、‘重’を表す症状が出る。 ‘濁’とは、湿濁の濁に通じ、 目やにが出る 痰が出る 便が泥状になる 女性の帯下(おりもの)が下りる 尿が濁る などがこの‘濁’の表す症状である。 粘滞とはネバネバして停滞するということであり、 便や汗、尿がネバネバし、その上頑固で取り去り難く、病も慢性化しやすいとい った意味を表す。 これらは分けられるものではなく、 湿と濁、粘滞の性質を併せ持つものである。 ○湿は陰の性質を持ち、陽気を損傷させ、気の流れを阻害させやすい 先程も書いた通り、 湿はネバネバしていて取り去り難いもので、 この湿邪が体内にあると、気の流れを大いに阻害し始めます。 気滞というのが気の固まりによる気機の閉塞ですが、これよりも湿邪はより取り にくいものです。 湿邪が脾胃を塞ぐと、 脾胃そのものの機能が失調し、 嘔吐 下痢 腹部の脹りなどの症状が出ます。 湿邪が耳を塞げば耳がこもったように詰まるなど、 各々侵す場所により多彩な症状が出てきます。 湿邪をさばくのは、 五臓六腑のうち、 脾胃の役割であり、 湿邪が長居すると、 脾胃が傷つき、消化機能が落ちてしまいます。 湿邪は陰邪なので、脾胃のうちでも陽気を侵し、 脾胃の気虚 陽虚という陽気不足の証を呈します。 更に進行すると、腎の陽気を喰らい、 一身の陽気が不足するために体が冷えるなどの症状が出ます。 ここまでいくと、治すのにも時間がかかります。 これらに対し、 薛生白は『湿熱病篇』で 「悪寒して顔が黄色く、口渇がなく、精神疲労し、四肢がだるく、 脈沈弱で腹痛下痢があるものは湿が太陰の陽を苦しめているのである」と述べ、 葉天士は「湿が勝てば陽は微弱になる」と『外感温熱篇』で述べている ○湿は下に向かう 火炎は上に昇り、水湿は下に向かう、集まるというのが 自然界の法則。 湿はとても重く、粘着質なので下に溜まりやすいのである。 これが原因の病も、下部に現れることが多いのである。 水便で脾胃の力を出したり、帯下(おりもの)、脚気、 水腫(むくみ)などは湿邪によるものが大変多い。 外から入ってきたものは、水便より出してやり。(利水便) 内生のものは、脾胃の機能を強めて、湿が体内で さばけるように育ててやる。 燥 燥とは秋の主気 燥邪が人を侵すと、皮膚の乾燥、唇の乾き、目が渋る、大便が乾燥し固くなるな どの症状が現れる。この燥は、寒によっても熱によっても出来る。 寒からの由来は、寒の侵入によって津液(体に有用な水分)を凝結させることに よって、津液が巡らないために乾燥することであり、これを涼燥と呼ぶ。 熱による由来は、 津液を熱で焼いて乾燥するためであり、 これを温燥と呼ぶ。 これらは問診にてよくよく判断するものであるし、臨床家ならば切診(東洋医学 の独特の触診のこと、よく経絡、気血の状態を候い知ることが出来る) 燥邪の特徴は以下の通り ○津液を損傷する 「燥勝てば即ち乾く」(『素問』陰陽応象大論篇)ので、人の津液を損傷させ、皮 膚や唇、舌、咽、眼、鼻が乾燥し、あかぎれ、大便の乾燥、尿量の減少などの症 状が現れる。 つまりは乾き、水分が足りない状態なので乾燥地帯の地面が割れた赤茶けた大地 。 植物も実らない状態を想像して頂ければよい。 ○燥邪は肺をまず犯しやすい 燥邪は口鼻から入りやすく、まず肺、特に肺陰(肺の水分、血液)を侵す。 あるいは肺の気を引き下げる作用が失調する(宣降作用) そのため、口や鼻の乾燥、咳や痰に異常が出る(痰の出ない干咳であったり痰が粘ってなかなか出なかったり) 病状が重くなると、鼻血や痰に血が混じるなど、出血をみる。 肺と大腸は表裏一体につき肺燥があれば必然的に大腸が乾き、便秘をする。 火 暑邪は夏の主気であったが、 火邪は、はっきりとした季節性はなく、 どの季節にも起こり得るものである。 伝染性邪や、他の邪が体内でうっ滞して 出来た火が、これである。 そこで劉河間は六気は全て火に従火しうるという説を出した。 特徴は以下の通り。 ○火は熱の極めであり、炎上する性質がある。 メラメラと自然界の炎が燃え、このようになる。 その性は火熱であり、上へ上へと炎上する。 症状は、高熱や、煩熱、顔と眼の紅潮などが出る。 また、症状は体の上部に出やすい。 内生した火邪が、心に走らば、口や舌のびらん。 胃に走らば、歯齦の腫れ(はぐきの腫れ) 心包(体にある経路の1つ)に走らば、精神的に不安定になり、暴れ始めたりする。 (神明逆乱、狂躁妄動、神昏、●語と) これに対しての古典による記載を紹介しよう。 『素問』至真要大論篇 「諸逆衝上、みな火に属す」「諸躁狂越、みな火に属す」 ○火は陽邪であり、体の津液(体に有用な水分)を消耗させ、同時に気を消耗させる。 火が盛んになると、大いに汗をかく。 ものを蒸すようにその水分は外へ(この場合は汗)と出て、 それが続くと、しだいに体で水分不足に陥る。 よって、よくのどが渇き、水をよく飲む。 大便が硬くなる、小便が濃く、黄色くなる。などの症状が現れる。 (口渇、咽干、口燥、大便秘結、小便黄赤色、舌苔黄にして乾く) また気を消耗し、元気がなくなるので、 ぐったり疲れてしまい気力が出ない。 無力感、無力になるといった状態に陥る。 進行すると、体の陽気の損傷が激しくなり、体が冷えてしょうがない、 冷たい汗が止まらない、といった状態になる。 (陰の損傷が陽に及ぶ) ○風を発生させて血を動かす。 火邪の勢いが強くなると出血しやすくなり、皮膚に斑点が出るなどする。 また盛んな火は風を生じ、風に伴う症状(上記の「風」参照)

今夜の一枚 2.22

   < 妖艶な木>     <シャンデリアのようなイルミネーション> 以上2点、 Nikon D200 + カールツァイス プラナー T* 50mm F1.4 ZF

作られかけたナン

    <ナン作り職人の苦悩> Nikon D200 + カールツァイス プラナー T* 50mm F1.4 ZF

医者の権威

今朝、ふと一冊の本を手に取り 懐かしく読み進めると、あるところで目がとまる。 ここに紹介する。 何故にこの箇所をのせようと強く思ったか。 それは、自分に対する戒めもあろうかと思う。 権威に対しても言わなければいけないことは、 しっかりと言うべきだということ。 それがプロなのだということ。 私の心に強く刺さる。 自分自身に甘さがあったのではないかと。 医者の権威 一夫人(名は知らねど早大の教授で、文学博士の夫人なりという) 来りて云う。 「娘が脚気がわるいのでお灸をすえていただき度いのですが、 洋服を着いるので、腕首へお灸をすえるのは嫌だといいます。 それで腕首へすえなくてもよろしいかどうか、お伺いにまいつたのですが」 と云う。 先生はこれに対しいわれた。 「腕首の陽池の灸は古来数千年、 支那でも解くことが出来なかった大切な灸で、 三焦を治すには無くてならぬ灸なのです。 あなたの娘は脚気が悪いと云うが、漢方には脚気などというものはない。 脚気は脾と腎か起るのです。 そうしてあなたの娘さんは子宮の位置がわるいのです。 腕首の灸をすゑなければなほりません。」 こう先生が云われても、 「それでも娘は洋服を着るので腕首の灸をするのは嫌だというですが」 と夫人がいう。先生は声を荒くして、 「一体、あなたの娘は腕首の灸がいやだとか何とか云つて、 他人の体のような気がしている。 自己は自己として生きねばならんのです。 人のついでに生きているのでは無いのです。 人のついでに生きているような、そんな考えの者が増えるから 国が乱れるのです。 国の前途を思えば、心配にたえないです。 わしは斯んな仕事をしているけれども、 これでも憂国の心に於ては人後におちない。あなたの娘のような、 自己は自己として生きるということを 忘れて人のついでに生きているようなものの増えるのは、 教育が悪いのです。親の教育が間違つているのです。 そんな考えの者が教育者などになつているので、 やれ自由にやれどうだのといつて、危険思想が生まれるのです。 私はそんな人のついでに生きているようなやくざな人間に お灸などすえなくつてもよいのです。 腕首の灸が恥しいというてすえなんでいて御覧なさい。 いまに子宮左屈だ後屈だなどなど西洋医者に云われて、 手術台のうえにのせられて、子宮を覗かれたり、切られたりします。 その方がよつぽと有難いのでしよう。」 このように猛烈にきめつけられて、夫人は坐にいたたまらず、 赤面して其の坐を立つた。 多くの医者たちが患者の意を迎え、世におもねつて、 一人でも患者の多からんことを願う世の中に、 敢然として少しも権勢におもねる所なく、 よく医人としての権威を示される先生の態度に いたく感じ入りつつこの光景を目撃していた。 こういう事は、先生の治療室に於いて屢々起つたことであつて、 いつも先生は自らの信ずる処を侃々然として述べ、 所信をまげられるというような事は一度もなかつた。 それが大臣でも大将でも同様であつた。 沢田流聞書『鍼灸眞髄』代田文誌著 医道の日本社 「医者の権威」より抜粋

リウマチや腱鞘炎、 指の痺れ、関節の痛み、強ばりについて

指の痺れ、腱鞘炎、関節の強ばりや、リウマチなどの膠原病、 四肢(手足)の筋肉や関節などに痛みやしびれを 起こす病症のことを東洋医学では、 「痺証」といいます。 生気の弱りがあり、それに乗じて外邪(風、寒、湿、熱など)が侵入すると関節部や筋肉に痺れや痛み、強ばりを発し、 古来ではこれを「痺証」と呼んできたのである。 『黄帝内経素問』痺論篇では「風寒湿の三気まじわり至り、合して痺となる」 と述べられている。 現代医学で治せないとされているリウマチに対して、 凡そ2000前の医学書にかかれているのだから驚きである。 それどこれか、大いにに教えられる。 否、答えがそこには書いてあるような気がするのである。 ここで先人の智慧を借り、この病を改めて考えてみよう。 痺証にはリウマチのほか、指の痺れ、リウマチ様の関節炎、慢性関節炎、腱鞘炎、座骨神経痛、頚椎症、五十肩、痛風、神経痛、筋肉痛などの症状を包括している。 また、侵入する邪の種類により 風=風痺(行痺) 寒=寒痺(痛痺) 湿=湿痺(着痺) 熱=熱痺 などと呼ぶ。 勘の良い人は気付くでしょうが、 いわゆる「カゼ」をひくときの病因病理である。 つまり、リウマチなどや上記の症状は、 体の弱りに乗じて、 常にカゼをひいている状態であると言える。 痺証の人は、「カゼ」が入ったときに、 生気の弱りがあるので、健康人のように発熱や悪寒などの派手な症状は出ないかわりに、弱々しく「カゼ」がいつまでも居座り、 気穴の流れを阻害するので、関節の強ばりや痺れなどのリウマチ様症状を現すのである。 これらリウマチなどをはじめとする痺証は、西洋医学では治らない病気とされているが、私は不治の病どころか、 病因病理をきちんと把握して治療に臨むことで、 充分治すことが出来るものだと感じている。 リウマチは今では私の得意な病気のひとつになった。 以下に、それぞれの痺証の特徴を記す。 風痺(行痺) 古典には「その風気、勝れる者は行痺となす。」とある。 風は動きやすく痛みや症状の場所が一定していないので行痺と呼んだのであろう。 症状: ○遊走性の関節や筋肉の痛み 風は陽性の邪気でよく動くので、痛みの箇所はところどころ移動する。 他の痺証に比べ、痛みはさほど強くない。 ○上半身に痛みが出やすい 風は動きやすいだけでなく上部を犯すので(まるで上昇気流のように)、上半身 に症状が出やすい。 治療:疏風通絡、散寒除湿 寒痺(痛痺) 古典に「それ寒気の勝れる者は痛痺となす」とある。 寒痺の特徴は痛みが強いため古来より痛痺と呼ばれてきた。 症状: ○痛みの部位は固定し動かず、痛みは刺すようにするどい 寒邪は凝滞を主り、血流を著しく滞らすために強い痛みが出る。 ○冷やすと悪化 温めるとマシになる。○関節が曲げにくくなる 寒邪は凝滞を主るので関節が引きつり、曲げ難くなるのである。 〇局所や体が冷える 寒邪が存在するので、当然冷える 治療:散寒止痛 湿痺(著痺、着痺) 古典に「その湿気の勝れる者は著痺となす」とある。 または、着痺と言われる。 湿邪は粘っこい邪気であり、 すべての痺証に少なからず存在するとは言え、 湿邪の多いものは、しつこく、長期化しやすい。 それゆえ着痺と呼んだのであろう。 治療もあまり間をおかず、間髪入れず湿を叩く必要がある。 症状: 〇関節が腫れて、重く感じ、痛みの場所は固定している 湿邪がため 〇体が重い湿邪がため 〇皮膚にしびれが出る湿邪が気血をの流れ塞ぎ、しびれ感が出る(皮膚麻木) 治療:除湿通絡 熱痺 熱は陽邪であるため、病勢急速に変化する。 寒湿の痺証が慢性化すると、熱をはらみ、寒と熱が同時に存在する 寒熱挟雑の状態となるので、 このような複雑な痺証には慎重に治療しなければならない。(ここは専門的で少し難しいです。ごめんなさい。) 症状: 〇関節、筋肉が赤く腫れ、熱感をもつ 〇発熱、口渇を伴いやすく、冷たいものを欲しがる体に熱がこもっているので上記の症状が出る。 熱を消そうと体が冷たいものを欲する、冷たい飲み物、アイスクリームなどである。 治療:清熱通絡

お薦め 中医学入門書

〇初心者におすすめ 鍼灸師入門者、東洋医学のことを少し本格的に知りたい方対象。 大変解りやすく解説してありますよ。 出版社からのコメント 関口善太著/A5判並製200頁(本体2,600円+税)/入門時に誰もが戸惑う中医学の特異な発想法を,爽やかで楽しいイラストと豊富な図表で親切に解説する。3日間で読める中医学の入門書。本書に続いて『中医学の基礎』に入るのが中医学初級コース。 抜粋 序 はじめに  私が今回この本を著述しようと考えたきっかけは,日本ではまだ中医学を学べるシステムが確立されておらず,かといって独学で学ぼうと思っても,初めての人に適したやさしい入門書が見当らなかったことがあげられます。  よく現代医学はミクロを分析する医学であり,中医学は人体を全体的に見るマクロの医学だといわれます。私はこのマクロの医学を学習するには,マクロの観念である統一観念や系統観念が身につくように,常に全体のつながりを考えながら,各部分を学習することが必要だと考えています。  何故なら,中医学の内容が豊富すぎるため,独学では全体のつながりからみて,重要な部分とそうでない部分が区別できず,興味のある部分は詳しく知っているが,そうでない部分はあまり知らないという人が多いように感じたためです。このような人が臨床にあたると,自分の知っている部分からしか判断ができないので,かたよった診断をしがちになります。  例えば,病邪が人体を障害した場合の病証は実証であり,瀉法を施して治療することは知られていますが,これと同じような症状が出現していても,臓器機能が減退している場合の病証は虚証なので,補法を施して治療しなければなりません。しかし診断にあたって生体生理の知識は充分であっても,病邪の知識が不充分であると,虚実の判断ができずに,病証はすべて虚証にみえてしまいます。このことは私自身が中国で臨床実習した際に体験した問題であり,帰国いらい講座や臨床で指導してきた経験からも,日本で独学している人に共通した最も多い問題点であると思います。  そこで私がベストと考える中医学の学習方法は,始めは最低限のことだけでかまわないから,とりあえず基礎生理から弁証までを通して学び,全体のつながりが分かってきたところで,内容を深めて再度基礎から学習し直すという方法です。  本書は中医学の基礎生理を学ぶためのものですが,最初に中医学全体の構成を把握してもらい,臨床にあたるまでにどれだけの内容の習得が必要であるかを知ってもらうように配慮しています。そして基礎生理の学習については,中医学全体のつながりを考慮したとき,最低限必要だと考えられる範囲にしぼって学べるようにしたつもりです。  初めて中医学に接する方々に,少しでもわかりやすく学習できる本になれば幸いです。 〇少しつっこんで学びたい人用 鍼灸専門家対象。 とても解りやすく、またその分類も読んでいて迷うことがない。 大好きな一冊です。お薦め。 僕も購入当時、えんぴつを一本持って お風呂の中でも読んでました。 抜粋 序 文  宋鷺冰教授主編の『中医病因病機学』は,中医病因・病機学における学術成果を,系統的かつ余すところなく継承した著書であり,本学科における学術レベルの高さを示すものです。本書を広範な読者の皆様にご紹介できることは,本書のプロデュースに携わった者の一人として,喜びに耐えません。  分化と統合とは,科学を発展させるために不可欠な要素であります。中医学は,『内経』および『傷寒雑病論』が登場するに及び,中国医学史上第一段階の統合を果たすとともに,天人相応論という総体論と,弁証論治とを統合することにより,科学的な医学体系を作り上げました。そして仲景以降,隋,唐に至るまで,科学・文化の発展にともない,中国医学は一貫して科学的分化を発展させてきました。その結果,『諸病源候論』のような,病因病機学の専門書を生み出し,13の臨床学科を創設しました。統合と分化は,中国医学の発展を促すとともに,これを地域的な民族医学から,東洋の医学へと押し上げました。  ところが,唐,宋以降は,中薬学と温熱病学が発展したほかには,これ以上の細分化や高度な統合は見られなくなりました。中医学は,中国文化と共生してきたという歴史の制約を受けているために統合性は高いが,分化という面,特に理論面での分化は,立ち後れています。それが中医学の発展を遅延させる一因ともなっています。  古代に形成された原初的理論を系統的に整理・研究し,専門書および新しい学科を創設し,中医学をさらに細分化することは,研究を促し,人材を養成して,中医学全体を発展させます。そしてこれこそが,本書を編集した目的であります。  いかなる科学も,過去業績を継承することによってはじめて発展します。しかし,継承は目的ではなく,科学発展のための手段にすぎません。多くの専門家,老中医,青年中医が一堂に会し,テーマを選び,整理研究と討論を繰り返すことは,古代医学家と現代の専門家の経験を継承し,人材を養成するための有効な手段となります。『中医病因病機学』は,このような方法によって目的を達成しようとするものです。  ただし,科学研究とは,とりもなおさず創造的な作業であります。中国医学を継承発展整理・向上させることは,長い年月を要する壮大な事業であり,本書だけで完成できるものではありません。したがって,本書は,千年の梅の古木に生えた若木のような,わずかな成長の兆しでしかありえません。私たちは園丁のような気持ちでその若木を守り,水を注ぎ,剪定し,科学というフィールドでたくましく育てていきたいと思います。              1983年9月 蓉城にて    侯 占元

大阪のたこ焼き

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