どうも林です。
以前から不思議に思っているのですが、
主に学生さんや同業者に
北辰会の先生ですよね?
と尋ねられることが割とあります。
どうしてでしょうか?
結構、私自身不思議に思っています。
頭を束ねてチョンマゲスタイルにしている事と、
カルテを北辰会のものを使用していることから、
完全に北辰会のイメージと一致することで、
そのように判断されているのかも知れません。
どうなんだろう。
北辰会と私の関係と言えば、
私が10代の時に師事していた
先生も北辰会に所属しておりまして、
(実際には先生独自の治療方法が根底にあり、
北辰会方式とのミックスのようなものでした。)
また、先生の指示もあり、
その頃から北辰会には所属しておりました。
そのまま今も所属したままの状態です。
但し、
21歳に成る頃には、
師事していた先生の元を離れることとなり、
兄弟子も弟弟子も、
また、頼りに出来る人もありませんでしたので、
明確な指針は無くなり、
自分自身の手で生きていく他に術なく、
自分ながらに理想を求めて
考えては、実践、
考えては、実践、改良、考察を
繰り返し、
自然に我流と言って良い
診断術と治療方法が成されていきました。
北辰会の影響を大きく受けたものの、
今となっては北辰会方式とは全く言えぬ治療法に
なってしまっております。
また、それに対して、
名を付けたり、流派を建てたりする
こともせずまた、
するつもりもないので、
自分の中での理想は名も無い形で
今も走り続けておりますが、
それが何なのかと言うことを
流派云々で語ることは出来なく、
同時に日々変化するものとなっています。
少し話しのついでですが、
我々の業界では、特定の型や手法に
名を付けるということが
一つの手法として当たり前のようになっておりますが、
私の中で、必要以上に名を与える事は
考えたや技術を固定化する元凶だと認識し、
そのようにすることを禁じており、
また、私の役目は
数々付けられてきたものの名を
剥がし、根底に戻すことだと設定しています。

北辰会と私の関係は以上のような内容ですが、
個人的には少し
不思議な縁がありまして。

それを話しますと、
鍼師を目指し学生になった一年目に、
北辰会の代表の藤本蓮風先生の著書に影響を受け、
とある日に、
(一度も実際にはお会いしたこともないのに)
「今日、弟子入りを願い出よう」
と勝手に決めてしまった日がありました。
その日に覚悟を決めて、
まずは治療を受けに行こうと言う事で
直接、御院に電話をかけたのですが、
あいにくその日は休診日。
明日かけ直せばいいのではと今でこそ思うのですが、
その時の自分は、
勝手にその日と願掛けみたいなものをしていたので
「では、先生の弟子で一番近くにいる方を尋ねよう」
という発想に至り、
藤本蓮風先生の著書に載っていた治療院の中から
一番近い場所を求めました。
もうちょっと通常の選択をしていたら、
ここで間違いなく、
藤本先生の元に走っていたのかな?
こればっかりはわかりません。

そのままその先生の元で
勉強させて頂くことになってから
しばらく経って、
藤本先生の治療院(漢祥院)で
内弟子を一人募集していることを知り、
最初に事の経緯もきちんと話していたので、
先生の許しを取って、
内弟子にエントリーすることを決めました。
エントリーの方法として、
毎月通っていた北辰会で
顔見知りとなった内弟子の先生に話し、
「わかりました。そのように話しを通しておきます。」
という答えでしたので、
「ようやくか。少し回り道もしたけど、
学べることは多かったな」
と思いつつ、しばし、
一ヶ月程待ったでしょうか。
定例会でその内弟子の先生に会ったところ、
「林くん、ごめん。
内弟子、他の子に決まっちゃったのよ。
たまたますごく前向きな女性が現れちゃって。。」
と報告をもらって、
その場では
「ああ。そうですかー。仕方ないですね。」
と苦笑いをしてやり過ごしたものの、
当時の僕はなんとも言えぬ感情に包まれました。
これが、私、
19か20の時でしょうか。
しかしながら、
当時から流れに身を委ねるという傾向が
既にあったので、
「これも運命か。」
「行ってはならぬ何かがあるのだな」
二度も運命にかわされたということに
妙な一つの縁を感じたのも実際。
それが
自分としては進む道として
大きな分岐点になりました。
私は、基本的に気持ちが強い人間なのと、
思っていると本当にそのように巡り合わせが
あることがほとんどなので、
自分が決意したことが二度までも
かけ違うという事が逆に珍しく、
何か強い縁を感じるわけなんです。
(あちらにすれば至って迷惑な
話しなのかもしれませんが(^_^;)
そういう流れで、
漢祥院に行く梯子はなくなってしまい、
それからは
元の先生のところで継続して
学ぶこととなりました。

そういった経緯で、
関わりが始まる前に
終わってしまったんですが、
なんとも言えない関係というか、
僕の中での不思議な巡り合わせが存在するという事と、
北辰会にはその後は臨床も忙しく、
たまに定例会に行く幽霊部員みたいな
存在だったのですが、
とあるとき、
同世代の北辰会のメンバーが
私の存在だけは知っていたらしく、
一度、表に出てこないか
合わせたい人間が何人かいると
お達しがありまして、
おお、来たな。
(僕に対して興味のある先生、
敵対心を持った先生、
多様な感情を持った先生がいるだろうなと
認識してましたので)
と、
これは治療家同士、
ガチンコもあり得るなと
思って覚悟をもって
出向きましたが、
これまた不思議な事に
同席した北辰会のメンバーと
その場ですぐに意気投合してしまい、
それ以来、酒を飲み交わしたり
日常的に鍼のことや
プライベートの事などを話し合う
仲になりました。
こういう関係を成せるのも、
僕は元来風来坊なので
あれですけども、
北辰会の面々が
立場や縦横を乗り越えて、
知的探究心でもって
人と対話出来る気風が
生まれているからこそだと
思うわけです。
それに触れて、
北辰会も随分変わったなあ
と、しみじみ感じます。
(手放しに今の方がいいと言う意味ではありません。
今はいなくなってしまったが、
残念に思ったり、
懐かしく想う先生は何人かおりますので。)
あとは、
勉強で一鍼堂に出入りしている
学生さんや初学者には
標準的な
治療家の視点を得るために
北辰会の定例会で
学ぶ事を薦める事も多々あることと、
基礎教材に北辰会の書籍を
取り入れたり、
院内に蔵書もまた多いので
当院との関係を連想させる人も
多いのかもしれません。

何が言いたいのかよく分からない
内容になりましたが、
今回は、
とにかく、私と北辰会の関係について
書いておきました。
鍼灸業界は、
独特の世界で、
流派や徒弟制度がまだ残っておりますが、
これもこの業界で楽しむ上での
一つの要素ですね。
また、
一鍼堂では特定の流派で学ぶスタイルを取らず、
各治療家がそれぞれ、好きな勉強会や
流派へ自由に出入り出来るスタンスをとっているので、
方々で学んで、
各々が、自分の臨床でそれを昇華させるということを
行っています。


(写真は息子が作ったソラマメで作った舟)

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