下野です。

東洋医学の経典である『黄帝内経』。
『黄帝内経』は東洋医学の理論である”素問”、
そして実践的と言われる”霊枢”からなっていると
考えられております。
今回は『素問』に絞って記事を書いてみますが、
いつ、誰が、どのようにして成立させたのか?
そして素問=黄帝内経なのか?
というのが昔から議論されていましたが、
未だこれだ!と言い切れるものがありません。
それだけ謎?なものであります。


では先ず『素問』に関してですが、
大きく分けて
●オリジナル版
●全元起注本版
●王冰校正版(補注素問)
●校正医書局 新校正版(重広補注素問)
の4種類あると考えられており、
現代で手元にある『素問』は新校正版であります。

まずはそれぞれの説明をしましょう。

●素問原本(オリジナル版)
編者・成立年代不明。
後漢(200〜210年)の張仲景著『傷寒雑病論』の
序文に『素問』と記されており、
これがオリジナル版かどうかはわからないものの
時代としてはこれより先と考えられる。

●全元起注本版
南北朝時代、全元起により注釈されたもの。
ただすでに散佚しており、その原本はみられないが、
故 丸山昌朗先生『素問の成立を論ずる』によると
全元起注本版より前の時代に記された『鍼灸甲乙経』には
”霊蘭秘典論篇”(全元起本では十二蔵使)に該当する箇所がないことから、
オリジナル版+七十五〜八十一篇(甲乙経には見られる)+霊蘭秘典論篇(全元起本十二蔵使)
が全元起版ではないかと考えられるようである。

●王冰校正版(補注素問)
唐(762年)代に、王冰によって校正されたもの。
全元起注本版とは異なるところが多いとされており、
特に運気七篇(また後日にでも記しましょう)は
王冰の加筆だとされております。

●新校正版(重広補注素問)
宋代(960年〜)に入ると、
医学に従事する人材育成の為に医学教育が発展し、
また紙、印刷技術の発達に伴い
朝廷主導で医書の編纂、印刷、出版が行われ、
1057年頃に”校正医書局”が設置された。
その際歴代の医籍を収集、整理、考証、校勘がなされ、
その時に、経典である『素問』(この時は王冰版)も再度編纂された。

となります。
思った以上に長くなりそうなので、
続く。


彼女へ贈る歌
彼女へ贈る歌

最近 機嫌が良いので話を聞いたところ、
本人曰く 彼女ができたとのこと(笑)
そんな彼女へ歌を贈る!

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