男は激動のそれを求めるところがある
僕は特にそれが強かった。
大きなものを得て
その反作用として身近な大事なものを失うのであれば、
いっそ、
華やかなものなどいらないから
小さく優しい幸せが続けば良いと
今はそんなことを思う。
孤独ほどつらいものはない。
もので得る幸せというものの絶対値は
素朴で命の基礎となりうものの淡いながらも優しいものたちの絶対値
とはやはり簡単に比較して考えられるべきものではない。
行ってきますといい家を出て
ただいまと言い帰る場所がある
それが何よりも大切なことであり
道中、
どのような華やかな馬車に乗っても
周囲が祝福の鐘をならしても
帰る場所がないというのは
なによりも悲しい事。
痛みとともに思う。
ただし、
帰る家というのは
心のあり方であってもよい。
単純な帰宅のことのみを指さない。
大事な人が去ることも
大事な人が傷つくことも
本当に耐え難い
時間は戻らない
だから、
僕らはそういう悲しみが少しでも小さく
済むように鍼の腕を磨くしかない。
自分の手の届かないところは良い
受け入れよう。
ただし、
自分の手が届くところで
私の手が短かったとき、
あるいは、手をかけ誤ったとき、
苦しくて悲しくて仕方ない。
もう救えるはずの大事な人は
二度と失いたくないと思う。
あの時ああしていればという
後悔と戦うことは、
無限の痛みを伴う。
最善を尽くし、
その最善の水準を上げることが必要なことだと
考える。
自分の腕が悪ければ、
結局、いつか己の心を殺す事となる。
そうはあるまいと道を歩み続けるのみである。

子供の瞳をかりて。
子供の瞳をかりて。

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