自然は殺すときは殺し、
愛すときは愛します。
四季にあってもそう。
生・長・化・収・蔵、僕らはその支配下にあって
法に手をのばせる高尚な存在ではない。
僕は鍼をもっても治せるものは治せ、
治せぬものは治せない
その度に涙するわけで
その苦しみを少なくする為に
毎日毎日同じ事を繰り返すわけです。
制約の中であたえられた小さな自由で
必死に自分の舞い方を工夫するわけであり、
諸々の芸事は
社会で言うところの
ちんけなアイデンティティでどうにかなるものではなく
あらゆる苦しみや喜びを煮詰めて
何十年もかけて煮詰めて
溢れ出たものが唯一、個性のかけらとなるものだと信じている。
小さな頃から大人と同等にアイデンティティを持たされ、
成長の種を摘まれようとする子供を見ていると不憫でなりません。
うすっぺらい癖を個性と呼び、
本当の個性を見つける道を失ってしまうのでしょうか。
そんなものを教育とは呼びたくないんです。
久しぶりに記念撮影しました。
一鍼堂 鍼灸師 林
全く同感です。
すぐ結果がでるものや表面的な見えやすいもの、うわっつらのよいことばかりが受けいられている気がしてなりません。
自分の周りの同年代の人に思慮の浅さや妙な軽さを感じてしまいます。
その反面自分になにかできることはないかと焦ったり力の無さを感じたりもしています。
僕にも同じ気持ちがあります。
やったらんないって一人こもってもしょうが無いので
この社会にありながら、
自分なりの生き方を表現するしかなさそうですね。
書き込み、ありがとうございます★
感謝、感謝です。
追伸、返事が遅れて本当に申し訳ありません。