この国では、
畏れる事と敬うという事は
常にともにある感情であった。

現代では、
自然を思うと、
エコという言葉で締めくくるのでありましょうか。
他になにかないかと考えても、
やはり、
緑だとか、クリーンなエネルギーとか。
そういう安っぽい発想しか出てこないのではないでしょうか。

手足をもぎ落とされた、
まるで粘土細工のような形をした
街路樹。
まるで、はりつけの刑だよ。
あれじゃ。

大きく人の精神性は変わってしまったんですね、残念ながら。
扱う言葉の深みで明らかです。

いやいや、
林くん。
暗くなるよ。楽しく行こうよ、
と思われる人が多いかもしれません。
でも、人は人。
僕みたいなのもいて、
社会の一部であると思う。
ここからこぼれ落ちるものは、
どうか抹殺せず置いておいて欲しい。
くだらないと思う人は通り過ぎて頂きたい。
この国の陰翳を完全に葬っては
もう二度とは戻れないですよ。

コンクリートの上にロボットのように無音で人は往来しますが、
あの人工物の下には今も土があります。
彼らが起き上がれば、
僕らなど真っ逆さまです。
土を殺す事は出来ない。
見えない場所にふたをしてるだけ。
どうか
畏敬の念を。

何をして鍼医者というか。
人の病を癒して。
では、その人達はどこに向かうのか。

どうか畏敬の念を。

植物たちも殺し合う。
森。植物たちの光を求める過当競争。

動物たちの生きるために他を食らう
生死の螺旋。

では、
人は。
人はどこに向かうのか。

そういうことを考えると、やはり人類の発生が
世に言われている場所に起源がないのではないかという確信をもってしまう。
ここでは触れずにおいておこう。

2 コメント

  1. 畏敬の念、それは時に自分の内なる神に対する畏れなんじゃないかとも感じる事があります。
    だからこそ畏れ、そして敬う。
    人は皆、個でありかなら魂の根源では個など存在しない。
    そんな気がします。

    戯言失礼しました。

    • 自分の内なるものにきちんと畏れを持つという発想はすばらしいなと思います。
      意外に繊細な感覚の持ち主なんですね
      図体は大きいのに(笑)
      いや、失礼。
      仰る通りかと思います。

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