<当院でのコロナウイルス対策のご案内>
当院でのコロナウイルスに対する工夫と処置の

ページを作りました。
来院される皆様に関係する内容となりますのでご確認下さい
       ↓
『当院でのコロナウイルス対策ページ』はこちら


こんにちは、受付の白石です。

少し前に、祖母の葬儀のために
急遽福岡の実家に帰省することになった時のこと。
祖母の葬儀の翌日に、祖父の十三回忌の法要もあり
合わせて参列させてもらうことになりました。

十三回忌当日。
仏壇の置いてある実家の座敷、座布団に正座して
これからあげるお経の簡単な説明を聞きながら、
昨日の葬儀と同じお経がはじまるのを待っていました。
読経に入ってすぐ、おやっ?と思ったことがあり、
お経の聞こえ方が昨日と違っていることに気付きました。
御院家さんは前日と同じ方。
ビブラートをきかせた美声も同じ。
何が違うのか?
たどりついた答えは単純で、
耳に届いていたのが肉声かどうかの違いでした。
前日は、小ホールでマイク→スピーカーを通して。
いまは2〜3mの距離。
ややくどいと感じていたビブラートの振幅が
直接体に伝わってきていることに気付いた後は、
意味はわからなくても
音を受け取ることに意味がある様に思えてきました。
同じに見えたことが別のニュアンスで経験されて
新しい経験の様で嬉しく、家族との思い出に加わりました。

ところで、前回担当したブログで
「虚無」(【受付日誌】映画の魅力)について書かせてもらったのですが、
最近読んだ本の中に、別の記述を見つけました。
と言ってもこちらが一般的かと思いますが(・・;)
文章にも巡り合わせがあるものですね。一部をご紹介します。

『虚無というのは欲望を持たないということです。
欲望というのは自分がいまある状態ではない状態を望むということです。
欲望があればどんな向上心であろうと心が騒いでしまう。
要するに自分の現状に不満だということです。
それは進歩する根源のことのようでありながら、
実際には心を乱しているだけのことが多いということです。
ですから「虚無」というのはとりあえず今あるものを本当に楽しむ。
ありがたいと思う気持ちです。
自分が今、ここに生きているということを
本当に嬉しく思うという気持ちです』
(「気功=心の森を育てる」津村 喬 /新泉社  P,96 より抜粋)

緑地公園の空 風の強い日でした
緑地公園の空 風の強い日でした

白石

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here