学ぶと言うことは
まったくの好奇心から始まり、
その先、
得る喜びはあろうども、
その過程で、
様々な道を通る。
くやしさに打ちちひしがれたり、
悔やみ、怒り、悲しみを知ったり、
孤独を知り、涙を流す。
もどかしさを抱くこともある。
また、開いた時には命いっぱいに喜び、
鉄を打つごとく、何度も何度もそういったものを重ね、
行うことだと思う。
学ぶという言う一点において、
人生、平穏無事にはいかぬのではないか。
はい、学びました。
なんて涼しい顔で述べるものは、
まったく学んでいないか、
よほどの聖人君主様かのどちらかであろう。
自分の五臓六腑を差し出し、
学び進む者は本当に少ない。

よく、医療人は健康でなくてはならないと聞くが、
いや、むしろ 一回死んでみろよ。
と僕は思う。
肉体的にそれが出来ぬとも、
筆を持っていても死ぬことは出来る。
書物をもってしても死ぬことは出来る。
愛する者の傍らにいたとしても死ぬことは出来る。
富に溢れていても死ぬことは出来る。
それが出来ぬ者は不感症と言わざるを得ない。
鍼を持つに値しないと思う。
(※あくまで僕の考えです。鍼灸師の皆さんに強要するものではありません。)

当院においては、学んでおいでと言って、
本を数冊読んで、やってきましたと口にするものがあるが、
そういうのには本当に虫酸が走る。
上記に書いたように、何年かかっても良いから
本当の学びを修めてもらいたい。


【付録】
写真・『木々のいざない』

『木々のいざない』 / LeicaMP+summarit50mm f1.5
『木々のいざない』 / LeicaMP+summarit50mm f1.5

4 コメント

  1. 今日のブログ心にタッチしました。特に「一回死んでみろよ」は最高。中々言えませんよ、この一言((笑)ありがとう。

    • Michiさん、
      ありがとうございます。
      本音で行きました。
      治療家は正しくなければならない、
      健康でなくてはならないと言われてきましたが、
      僕は はっきりと否定します。
      もがき苦しんだらいいんだと思います。
      名医のなかに一人でも完全な健康時がいるでしょうか。
      周囲の人の死に自分自身を深く傷つけたことの
      無い人がいますでしょうか。
      そんな人、みた事がありません。
      それが真実で、みんな健康でいなさいよって
      それは過保護だと思うんです。
      鍼やるからには
      全員苦しめ。
      全員もがけ。
      というのが今回のメッセージ。でした♪

  2. 全く同感します。私も母を亡くして今鍼を持てる資格を得たのだと心底感じていますから。あの時以上の苦しみ、今後あるでしょうか。あるかも知れませんね。でも難しいかも。

    • そうですね。
      やはり一人一人が闇や孤独をかかえています。
      悲しきかな、僕らはそれを鍼の道の肥やしに変えて
      進むところがありますね。
      幸せになりたいってみんな思ってるけど、
      奥底に動力として燃え続けてるのって、やっぱりそういう
      取り返せない感情だったり、孤独の埋まらない闇だっていう。
      ともに歩みましょう★
      見届けますよ。

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