東洋医学の歴史を辿って行く際、
日本の漢方の流派である
古方派(古医方派)の存在が浮かび上がってきます。
今回はその古方派についての記事です。

日本の古方派
江戸時代初期、
名古屋玄医によってはじめて
唱えられた実証的な医術。
古方派は理論よりも実証に重点をおき、
薬物も実際のききめをみずからの経験によって確認する方法をとったりした。
これが当時、各方面に影響を及ぼし、
実証精神を高揚させ、
科学的医学を受け入れる基礎となった。

名古屋 玄医(ナゴヤ ゲンイ、1628~1696)
江戸時代の医師。
江戸時代初期の京都において、
明の喩昌の『尚論篇』を読み、
張仲景の『傷寒論』の研究を始めた。
古方派の祖とされる。

若い頃から病弱で、
40歳のころは手足が不自由であったといわれるが、
学問への情熱は衰えず、
診察のかたわら多くの書物を著した。
『医方問余』、『金匱注解』、『丹水子』、
『難経註疏』などの著書がある。

「万病は皆、風寒湿によって生ぜざるはなし。
細かく分かてば則ち風寒湿の三気なり。
総じて言えば、ただ一箇の寒気の人を傷るなり。
陽気の虚するによってなり。
陽気は何ぞ。元気なり。」(『医方問余』より)
として陽気を得ると共に、
寒気一気を原因として捉えたものである。

このような医術は「古方派」と称され、
こののち後藤艮山がこの医学の基礎を築くこととなる。


<参考文献>
『日本医療史』 吉川弘文館
『鍼灸医学事典』 医道の日本社
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版社
『図説 東洋医学〈基礎篇〉』 学習研究社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

新川

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