我俗医の言うところの意旨をうかがひ看るに、
只針は痛を忍(こらえる)の労あり、
是を以て針するときは気力おとろふと云うことぞ、
いささか鍼経をあきらめて云うにはあらず、
まことい是俗説なり。
針に痛みの性なきことぞ、
いたむと痛まざるとは刺者の能と不能とによるぞ、
若し妙手を得ば何ぞ忍痛の労あらんや。
鍼経に云く能く刺す者は
肉を傷らずして能く病に中るとあるぞ、
抑々針の其来ること尚しきことぞ、
寧ろ一人の不能を以てながく
万世の針法をすつることをせんや、
針に忍痛の労あるは刺者の不能なり。
ただ針のみにあらず、薬に於ても亦然り、
医のよしあしによって
薬の人を害すこと針よりもはなはだし、
もし妙手に逢うときは針薬ともに病を治するぞ、
悪手に逢うときは針薬共に人を害すべし、
なんぞひとり針において其害を論ずることあらんや。
~『鍼灸重宝記』より~

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