下積み修行中の木村さんのお勉強記事です。
勉強不足で至らない内容ですが、
少しずつ学び成長して参りますのでお許し下さい。
不出来なところもあるかと思われますが、
成長とともに少しずつお返しして参りますので
どうか見守り 応援してやって下さい。


スキー場にて
スキー場にて

今年もスノーボードに行って参りました。
滑りも安定してきたので
今回は友人にフロントサイドの360
を教えてもらいました。
この日は、一時吹雪のように雪が降り
視界が殆ど見えていませんでしたが
雪がフカフカだったため
思い切って沢山転けました。
まだまだ不格好な動きですので
少しずつ、習得していきたいと思います。


【原文】
黄帝問於岐伯日、余子万民、養百姓、而収其租税。

余哀其不給、而属有疾病。
余欲勿使被毒薬、無用砭石、欲以微鍼通其経脈、調其血気、営其順逆出之会。
令可伝於後世、必明為之法、令終而不滅、久而不絶。
易用難忘、為之経紀、異之章、別其表裏、為之終始、令各有形。
先立鍼経。願聞其情。
岐伯答曰、臣請推而次之、令有綱紀、始於一、終於九焉。
請言其道。小鍼之要、易陳而難入。麤守形、上守神。
神乎、神客在門。
未賭其疾、悪知其原。刺之微、在速遅。
守関、上守機。機之動、不離其空。
空中之機、清静而微。其来不可逢、其往不可追。
知機之道者、不可掛以髪。
不知機道、叩之不発。知其往来、要与之期。
之闇乎。妙哉、工独有之。
往者為逆、来者為順、明知逆順、正行無問
逆而奪之、悪得無虚。追而済之、悪得無実。
迎之随之、以意和之、鍼道畢



【九鍼十二原篇】

【現代語訳】『現代語訳◉黄帝内経霊枢 上巻 東洋学術出版社より』

黄帝が岐伯に問う。
「私は万民を慈しみ、百姓を養い、彼らから租税を微収している。
私は彼らの生活が自給できるものでなく、さらには連続して疾病が発生しているのを哀れに思う。
彼らの疾病の治療にあたって、私は薬物と砭石とをつかうことなしに
微鍼を用いて経脈を通じさせ、気血を調和させ
経脈中の気血の往来出入や会合を正常に回復させたいと考える。
同時に、こうした治療方法を後世に残し、鍼治療の道理を明らかにし
それを永遠に滅びることなく、久しきにわたって伝わるようにさせたいと思う。
用意に運用できてかつ忘れにくくさせるために、筋道をはっきりさせ
章節を区分し、表裏を弁別し、始めから終わりまで理論と実践とを一貫させ
併せて九鍼のそれぞれの形状をはっきりとしるしたい。
そのために、まず『鍼経』を作らねばならぬ。
私はこの問題について、あなたの意見を聞きたい。
岐伯が答える。
「それでは私の知っているところを、順を追って説明させてください。
このようにしてこそ、条理が生まれ、一から九まで、終始の順序が乱れないのです。
まず刺鍼による治療の一般的な道理にういてお話しましょう。

ここからは補瀉について岐伯が答えているが
解説など合わせて記載する。

毫鍼『鍼灸医学事典 医道の日本社』
毫鍼『鍼灸医学事典 医道の日本社』




小鍼(「微鍼」とも称し、現代の毫鍼[古代九鍼の一種であり
現在でも最も広く応用されている鍼で多くはステンレス・金・銀などで作られている。])
による治療の要点は、言ってしまえば簡単なことであるが
技術が精微な境地にまで及ぼうとすると、かなり困難である。
技術の未熟な医家(粗工)は患者の外見上に現れた病状だけにとらわれ、変化を捉えることがでず
高度な技術を持つ医家(上工)は、病人の神気(正気)の盛衰に基づいて補瀉の手法を使うことができる。
上工は人の神を守るとし人の血気の虚実は、補うにも瀉すにも、ただ神を中心と考える。
(※神とは主に2つの概念があるがここでは顔色・眼光・脈や舌など
人体の整理活動や病理変化が象徴的に外部に反映されたものである
「広義の神」と考える。)

血気が経脈を循行していく過程で、その出入には一定の門戸があり
邪気がその門戸から人体に侵入しようとするのに
医家が詳しく病状を診ないで、病変の発生する原因や治療法がわかるはずがない。
鍼の技術の要は、刺鍼の部位が適当であることと除疾の手法の正確な運用にある。
粗工は、四肢の関節付近の経血を墨守して治療するだけである
上工は、経気の動静や、虚実の変化を洞察し
病邪の盛衰の微妙な現れをもつかむものである。

経気の循行は、経穴を離れることはなく
邪気は経気の流動にしたがって動くものであるため
経穴に表れた経気の虚実の変化は清静微妙なもので細心の注意が必要である。
邪気が盛んなときは、補法を行って邪気を留めることはしてはならない。
邪気がすでに去り、正気が衰えているときには
瀉法を用いてさらに正気を害うことはしてはならない

気の働きの虚実変化を理解する医家は、経気の往来の動静を待ち、
気が往来する時を的確に判断し、その機会を逃すことなく補虚瀉実の刺法を施す
そうでない医家は、弦上の矢が、射るべき時に放たないのと同様であり
補瀉の手法を乱用すると、当然治療目的を達成することが出来ない。
気の往来の時を理解してはじめて刺鍼の正確な時間を理解できるのである。
粗工はこのことに無知であるり上工だけがこのことを把握できるのである。

気が去さるとき経脈が空疎になるのを『逆』、
気が来るとき経脈が充実するのを『順』という。
逆順の理屈を解ってこそ、大胆に法従って刺鍼することが出来るのです。
経脈の循行方向に迎って瀉法を施すことができれば
どうして実邪を泄することが出来ないようなことがありましょうか。
経脈の循行方向に従って補法を施すことができれば
どうして正気を強化出来ないようなことがありましょうか。
この迎随補瀉の法(鍼尖方向を経脈の循行方向の逆(迎)と順(随)に区別し補瀉を行う法)
を自由自在に使うことができれば、刺鍼の重要な道理は尽くされている。


参考文献:
『黄帝内経霊枢 上巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』
『鍼灸学[基礎編]』 東洋学術出版
『鍼灸医学大辞典』 医歯葉出版株式会社
『鍼灸医学事典 医道の日本社』

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

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