osaka 光のルネサンス
出典: osaka 光のルネサンス 公式ホームページより

こんにちは、為沢です。

前回に続き、大阪のイベント告知になってしまいますが淀屋橋の大阪市庁舎辺りで「光のルネサンス」というイベントが開催されます。
昨年行ったことがあるのですが、綺麗な電飾が数多く散りばめられ、とても良かったです。また、多国籍料理を食することができる屋台も多く設けられておりました。公式ホームページでも掲載しておりますが、平日以外(特にクリスマス)は大変混雑するようなので、ケガには御注意を。行きはる場合は平日が狙い目かと思われます。



では、今回の傷寒論は弁太陽病脈証并治(中)四十八章。
この章では二陽の併病で発汗が不充分であった場合の証治について述べております。


弁太陽病脈証并治(中)四十八章

二陽併病、太陽初得病時、發其汗、汗先出不徹、因転属陽明、
続自微汗出、不惡寒。若太陽病証不罷者、不可下、下之爲逆、如此可小發汗。
設面色縁縁正赤者、陽気怫鬱在表、当解之熏之。若發汗不徹。
不足言、陽気怫鬱不得越、当汗不汗、其人躁煩、不知痛処、乍在腹中、乍在四肢、
按之不可得、其人短気、但坐以汗出不徹故也、更發汗則愈。
何以知汗出不徹、以脉濇故知也。

和訓:
二陽の併病、太陽初めて病を得る時、其の汗を発し、汗先ず出ずるも徹せず、
因りて陽明に転属し、続いて自ら微汗出で、悪寒せず。
若し太陽病証罷まざるものは、下すべからず。之を下すは逆と為し、かくの如きなれば
小し発汗すべし。設し面色緑緑として正赤なるものは、陽気怫鬱して表に在り、
当に之を解し之を熏ずべし。若し発汗徹せず、言うに足らんずんば、陽気怫鬱して越するを得ず、
当に汗すべきに汗せず、其の人燥煩し、痛む処を知らず、乍ち腹中に在り、乍ち四肢に在り、
之を按じて得べからず。其の人短気して、但だ坐するは汗出ずること徹せざるを以ての故なり。
更に発汗すれば則ち愈ゆ。何を以て汗出ずること徹せずと知るか。脉濇なるを以ての故に知るなり。


二陽併病
併病とは病が二つ以上の病位におこるもので、
太陽病が解消されない内に他経に移り症状がおこる。その両方の症状が並存する場合をいう。
太陽病から陽明病があらわれた場合は太陽と陽明の併病といい、二陽の併病ともいう。
これに対して合病とは、同時に二経、三経と邪が犯して症状を現す場合をいう。

太陽初得病時、發其汗、汗先出不徹、因転属陽明
太陽病初期に、発汗法を用いるも徹底できず、陽明経に病が入った。
発汗法が弱かったか、邪気が強かったためか、患者の養生が悪かったために
陽明経に陥ったものとみられる。

続自微汗出、不惡寒
発汗法を施して発汗し、今度は自然に汗が出る様になった。
悪寒がないので、太陽表証でないことを表している。

若太陽病証不罷者、不可下、下之爲逆、如此可小發汗
もし太陽病の症状があれば、下法を行ってはならない。行えば逆治となる。
これは軽く発汗させれば良い。

設面色縁縁正赤者
顔全体が真っ赤になっている様子

陽気怫鬱在表
「怫鬱」とは抑鬱、遮断鬱滞の意。外邪によって陽気がさえぎられて巡らなくなっている状態。

当解之熏之。
薫蒸法か発汗剤により発汗解表をするとよい。

若發汗不徹
もし 発汗法が徹底して行えなてない場合

陽気怫鬱不得越、当汗不汗
陽気が停滞して発散できないというより、汗をかきたくてもかけない様子

其人躁煩、不知痛処、乍在腹中、乍在四肢
病人は煩躁となり、どこが痛いかわからなくなる。
腹部かと思えば、四肢が痛くなったりする様子。

按之不可得、其人短気
痛い所を押さえようとしても、はっきりその場所を押さえることができない。
また「短気」とは息切れのことであり、呼吸が切迫している様子を指す。

但坐以汗出不徹故也、更發汗則愈
発汗法が完全でなかったからであり、もう一度発汗法を行えばよくなる。

何以知汗出不徹、以脉濇故知也
発汗法が完全に行えているかどうかは、渋脈を示しているかどうかで知ることができる。

提要:
二陽の併病で発汗が不充分であった場合の証治について


太陽経と陽明経とが相前後して病んだ場合、
太陽病の初期であれば、とりもなおさず発汗の方法を用いる。
しかし、汗が充分に出ないと、それが原因で病邪は太陽経から陽明経に伝わる。
すると、微々とした自汗が出て、悪寒はない。もし太陽病の表証が依然と存在しているなら、
攻下法による治療は適さず、攻下するなら誤治を犯すことになる。
このような場合は攻下ではなく、少し発汗させて治療するのがよい。
もし患者の顔全体が持続的に真っ赤であるなら、外邪によって陽気が表に鬱滞させられているので、
この場合は発汗或いは火熏の方法で治療せねばならない。
もし発汗が充分でなく、それで何らの効果も見られない場合、
陽気は鬱滞させられて外に出ることができないので、
発汗させるべきだからと発汗法を用いても汗は出ず、かえって患者を煩躁不安の状態に至らせる。
全身に異和感があってもどこが痛むかわからず、それは突然に腹部であったり、
あるいは突然に四肢であったりで、具体的な場所を手で押さえることができず、
患者はただ息切れを感じるだけである。これはとりもなおさず発汗が充分でなかったからで、
もう一度発汗しさえすれば治癒する。汗の出方が充分でなかったことが原因だとなぜわかるのだろうか。
それは脈象が渋だからわかるのである。


参考文献:
『現代語訳 宋本傷寒論』
『中国傷寒論解説』
『傷寒論を読もう』
『中医基本用語辞典』   東洋学術出版社
『傷寒論演習』
『傷寒論鍼灸配穴選注』 緑書房
『増補 傷寒論真髄』  績文堂
『中医臨床家のための中薬学』
『中医臨床家のための方剤学』 医歯薬出版株式会社

為沢

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみてあげて下さい。

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