<近日開催予定のイベント>
3月18日(日) :告知!第7回 鍼灸学生の為の勉強会

3月20日(火)19時〜 または 3月22日(木)13時〜
「素問を読もう!」勉強会のお知らせ


「歌をよむに、ひろく歌書をよんで、
歌学ありても歌の下手はあるもの也。
歌学なくして上手は有まじきなりと、
心敬法師いへり。
醫術も亦かくの如し。
醫書を多くよんでも、つたなき醫はあり。
それは醫道に心を用ひずして、くはしからざればなり。
醫書をよまずして、上手はあるまじき也。
からやまとに博学多識にして、
道しらぬ儒士は多し。
博く学ばずして、道しれる人なきが如し。」

貝原 益軒『養生訓』より

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
下野です。
今回も養生訓の記事となります。

冒頭文を現代語訳してみましょう。
「たくさん歌の書を読んで学識があっても、
歌を詠むのが下手だということはある。
ただ、歌の学識なくして歌を上手に詠むことは出来ない。
と心敬法師は言っている。
医術もまた同じである。
医書を多く読んでも腕の悪い医者はいる。
それは医道に心砕かず、緻密さが足らないからだ。
また医書を読まずに腕の良い医者にはなれない。
中国、日本でも博学多識だが、
人の道を知らない儒者は多く、
ひろく学ばないで人の道を知っている者もいない。
まったくこれと同じである。」
といったところでしょうか。

よく鍼灸医学(漢方医学)は
西洋医学とは異なって感覚的や
経験医学というように思われています。
ただ実際には、
非常に人間の身体を観察、研究し
理路整然としており、
病の原因と体の状況を診極めて
緻密に治療を進めていきます。

ただこれがどう変化したのか、
ある時代になると
「妄想だ!」と言うような流れになり、
今の西洋医学的な
○○病=A治療、
▢▢病=Z治療
というような流れになり、
東洋医学の思想を基にする治療は
少数になってしまい、
その結果 純粋な東洋医学の治療を行うと
理論がなってないや、
感覚的な治療と言われるようになったと思われます。

ただ冒頭で貝原先生も仰っていますが
(貝原先生の考えは東洋医学です。)
しっかりと基礎を学び、
それを以て実践していくと
しっかりと治せる治療家になるでしょうし、
よく「当時と今は違うから」という治療家もいますが、
時代は変わっても人間の体は変わらないので
それは発想力を以て、
病気というものを考えていけばいいと思います。

この文章自体は治療家に向けた言葉ですが、
治療家以外の方にも”医”を他の言葉に変換すれば
実際はどのような物事にも言えることで
今回ご紹介致しました。



卒業シーズンだからでしょうか。
この歌が脳内で無限ループで状態です。

下野


<参考文献>
『養生訓』 貝原守一博士校訂本
『口語 養生訓』 日本評論社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

下野

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here