考えるばかりで行動の伴わないものがいる。
考えて考え尽くす行為。
考える事は楽しい、
しかし、考える楽しみは決断する技術があって
はじめて成り立つものだと説く者がいる。
また、
行動は、それについてとことん検討する以前に
検討を中断する行為とも言えないかと
説かれもする。
どちらももっともだ。

4 コメント

  1. ちょうどいいタイミングで決断することって難しいです。
    なにごとも中庸がよいのかと思いますがそうでもない気もします。
    どちらかというと考えてしまうタイプの私にはパッと決断できる人がうらやましいです。

  2. そうですね。
    そういう時は直観を信じましょう★
    直観ってのは馬鹿にならんです。
    その人の生きて積んで来た経験の賜物です。
     一鍼堂

  3. コメントありがとうございます。
    連続で書き込みしますが、私は勘がないというのかピンときた経験がないです。
    娘の小学校のPTAの係をじゃんけんで決めることになったとき、なぜか気が重くて
    「ああ・・・今日は勝てそうにない気がする」と思ったらそのとおり最後まで負け続
    けたことはありますが・・・
    それさえも思いこみや自己暗示といわれたらそれまでで。
    あとひとつふたつそうかな・・・という体験があるもののいずれも「モヤモヤした感じ
    黒い雲が立ち込めている感じ」でその場でピピッときたというよりもあとになって
    あれは「やめとけ」という意味だったのかも・・・と思い当たるという鈍さです。
    そのときはあまりやりたくないことで気が乗らないのでモヤモヤしてるんだと思ってい
    ましたし。
    勘を感じる方法ってあるんでしょうか?

  4. 一つ、
    考えた事は天地に通じ少なからず
    必ずその通りになります。
    自分の考えは言葉にしなくて相手に伝わるか、
    伝わらんと言う事は決して無いです。
    声なき声にさえ伝わります。
    一つ、
    天地の間には流れと言うものがあり、
    これを感じる事を先日は言いました。
    じゃんけんは上のものですね。
    考えは現象を必ず引き寄せます。
    その大きさと質のいかんによって影響力は
    千差万別ですが。
    自分を真っ白にしておく事ですね。
    汚れた鏡では素直に映せないと言う事です。
    透明であれば透明であるほど真実を映す事が出来るでしょう。
    社会の方向とは真逆の方向ですが。
    社会なるものは色をどんどん濃くして行けと教えます。
    加えるのではなく
    落として行くのです。
    生命は箱ではなく
    もっと溌剌としたものです。
    もとあった溌剌とした生命の声を聞くと言う事です。
    こざかしい理論は通用しません。

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