こんにちは、為沢です。

今回より、張景岳ちょうけいがくの『質疑録しつぎろく』という古医書を紹介致します。
張景岳といえば『類経』『類経図翼』
『類経附翼』『景岳全書』と有名な著書があります。
『景岳全書』の紹介をしていこうと思い、
張景岳関連の書籍を集めていたところ、『質疑録』を発見し、
これがなかなか面白い内容でしたのでこちらを紹介していこうと思います。


質疑録は四十五篇からなり、その内容は、
先の偉大な医家の論の誤りを弁ずることを主にした内容であります。
要は批判です(笑)
かと言って、自己主張が強い訳では無く、
己の臨床経験と他の医家の見解も紹介しつつ、
考察を深めようとしております。
今回はその序文です。


和訓:
医道は軒岐にはじまり、而して書を著わし言を立て以て発明せる者は、
張・劉・李・朱を最たると為すに如くく、
以て陶・王・陳・薜に至っては、各に闡述たんじゅつするところ有るも、
然るに亦た弊無きこと能わざる者あり。
如し一言の謬戻びょうれいといえども、毎に後人にわざわいを遺さば、
之を取りて弁論し、以て其の失を正ざるを得ず、
敢えて前賢を妄訾ぼうしするに非らざるなり。
将に以て質疑の一助と為さんと云うのみ。


「張・劉・李・朱」とは
金・元時代の四人の大医家のこと。

張従正『中国医学の歴史』より
張従正『中国医学の歴史』より

張従正ちょうじゅうせい(1156年〜1228年頃)
字は子和しか。金代の人である。
治病の重きは邪を駆るにあり、
邪去れば正は安んず、攻を畏れて病を養うべからず

との攻邪論を主張し、
その独特な見解は後世に大きな影響を及ぼした。

主な著書
儒門事親じゅもんじしん

 

劉完素『中国医学の歴史』より
劉完素『中国医学の歴史』より

劉完素りゅうかんそ(1120年〜1200年)
金代、河間(河北河間県)の人で、
その出身から後の人々は彼を劉河間りゅうかかんとよんだ。
火熱論」は劉完素の主要学術思想であり、
火熱が人体に多種の疾病をもたらす原因であるというもの。

主な著書
『内経運気要旨論』『素問玄機原病式』
『黄帝素問宜明論方』『三消論』
『素問病機気宜命集』『傷寒直格』
『傷寒医鑑』『傷寒標本心法類萃』
『傷寒心要』『保童秘要』など

 

李杲『中国医学の歴史』より
李杲『中国医学の歴史』より

李杲りこう(1281年〜1358年)
晩年を東垣とうえん老人と号する。
学術思想は
内に脾胃傷れれば、由りて百病生ず
という主張であり、
元気が人の生の根本であり、
脾胃は元気の源であると考えた。

主な著書
『脾胃論』『内外傷弁惑論』
『蘭室秘蔵』『用薬法象』『医学発明』

 

朱震亭『中国医学の歴史』より
朱震亭『中国医学の歴史』より

朱震亭しゅしんこう(1281年〜1358年)
生涯、丹溪の辺りに住んでいたため、
朱丹溪しゅたんけいと呼ばれていた。
学説の基本は「相火論」を基礎にした
陽は常に余りあり、陰は常に不足す
との考え方におかれている。

主な著書
『格致余論』『局方発揮』
『傷寒弁疑』『本草衍義補遺』
『外科精要発揮』『金匱鈎元』
『丹溪心法』『丹溪心法附余』


その後に出てくる「陶・王・陳・薜」も医家のことである。

陶華とうか(1369年〜1463年)
字は尚文、余杭(浙江省杭州市の北)の人。

主な著書
『傷寒六書』『瑣言』
『家秘』『殺車槌法』『截江網』
『一提金』『明理続論』

王綸おうりん(1460年頃〜1537年頃)
字を汝言、節斎と号した。

主な著書
『本草集要』『明医雑集』『医学問答』
『節斎胎産医案』『節斎小児医書』

陳言
ちんげん
(1131年~1189年)
字は無択、南宋處州青田(今の浙江省青田)鶴渓の人。

主な著書
『三因極一病証方論』(『三因方』)

薜己せつき(1488年〜1558年)
字は新甫、号を立斎と称し、呉県(今の蘇州)の人。

主な著書
『外科枢要』『内科摘要』『女科撮要』
『癘瘍機要』『正体類要』『保嬰粋要』『口歯類要』


名だたる医家を並べておりますが、
彼らの論に敬意を示しながらも、異議を唱えて参ります。
具体的な内容は次回より御紹介します。


参考文献:
『中国医典 質疑録』 緑書房
『中国医学の歴史』 東洋学術出版社
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

為沢

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