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【お知らせ】年末年始の鍼灸施療


<当院でのコロナウイルス対策のご案内>
当院でのコロナウイルスに対する工夫と処置の

ページを作りました。
来院される皆様に関係する内容となりますのでご確認下さい
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『当院でのコロナウイルス対策ページ』はこちら


下野です。
前回の記事で、
江戸期はまだ漢蘭折衷治療が
多かったと記しました。

ではその後ですが、
江戸が終わり、明治新政府体制になると
日本はそのスタイルを西洋化へと舵を切り、
勿論 医学も洋学になりました。
しかも医師の人数的には
中国医学派(漢方医)が多かったにも関わらず
それでも衰退していったわけです。
そもそも制度的に
現代の医療従事者とは違い免許制度が取られておらず、
腕も、そして実際にしっかりと治療に当たっていた
漢方医が少なかったのも衰退の理由で
あったのではと言われています。

丁度その新時代に
明治天皇が当時の国民病であった脚気を患い、
漢医で治療したいと意向を出したようです。
とは言え、
当時の侍医は半数以上が洋医であり、
天皇がそう言うならばと
政府が脚気専門病院を設立し、
漢方、西洋各2人の医師で競わせたました。
これが「脚気相撲」と呼ばれていたようで、
結果は曖昧なまま終了したと言われますが、
最終的には漢医の終焉となります。

続く

ジョニーウォーカー
ジョニーウォーカー

サンタさんから
ジョニーウォーカーのプレゼントを頂きました(笑
嘘です。
KIRINさん、ありがとうございます。

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