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【お知らせ】年末年始の鍼灸施療


下野です。
前回『黄帝内経 素問』の謎。という記事を書き、
今回はその続きであります。
※ここからはあえて『黄帝内経 素問』とはせず、『素問』とだけ記します。

前回は『素問』には大きく4種あるとご紹介しましたが、
その中でもやはり謎なのが原本『素問』。
著者、成立年代共に不明であるこの書物。
漢書芸文史という漢代の蔵書目録に登場するというところから、
漢代(後漢初期?と言っていいのか)の書籍ではないかとされております。

漢代は宮廷を始めとする美術・工芸分野が発達し、
製紙法も開発されたとされております。
また『漢書』や『史記』の歴史書、
『説文解字』という漢字辞典も出版されました。
そして東洋医学の思想でもある、
陰陽五行説や三国志に出てくる太平道(黄巾の乱で有名ですね)もこの頃であります。

ではこういった時代に、
東洋医学の原典『素問』のような医学は行われていたのか。
それを考えていく上で参考にしたのが、現代の西洋医学の歴史。
古代エジプト医学(紀元前17世紀頃)ではすでに
外科手術や血管、内臓、脳脊髄液等が医学書に書かれていたとされています。
ただその反面、人々の生活は哲学・宗教との関係が深く、
その為医療と宗教の繋がりもあり
今で言うおまじないも治療の一つであったようです。

またその他の文化(文明)を見ていても、
ギリシャ医学やローマ医学等
古代エジプトよりも更に後世の紀元後でも
四代体液説や眼科手術等の発展もありながらも
解剖は神への冒涜だ!ということから解剖しなかったり、
医師はキリスト教の神官という宗教上理由もあったようです。
※他にも色んな歴史があります。

非常に簡単ですがこれらを見ていくと、
美術工芸、建築、生活様式等の文化が進歩しても
医学等病める人を救う文化は
その土地々々で元々ある人間らしさというものが
非常に深く密に関連しているのだと感じており、
(これが宗教・思想・哲学という言葉で置き換わるのでしょうが)
また今みたいに自由自在に情報が手に入ったり、
飛行機でもって様々な場所へ短時間で行けるわけではないため
当時の他の文化とは全く異なる方法でアプローチをしていたと思います。
学生時代、文化は西から東へと教わりましたが、
『素問』の成立されたと考えられている時代は
まだまだそれとは程遠い時代でありますので、
『素問』に書かれている内容は
少なからず当時の人々の病治しの一翼を担っていたと思います。


梅田方面@天神橋
梅田方面@天神橋

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