こんにちは、為沢です。

では、今回も『格致餘論』の続きを紹介して参ります。


格致餘論:濇脈論 其之二


人之為病有四:曰寒、曰熱、曰實、曰虛。
故學脈者,亦必以浮、沉、遲、
數為之綱,以察病情,此不易之論也。
然澀之見,固多虛寒,亦有痼熱為病者。
醫於指下見有不足之氣象,便以為虛,或以為寒,
孟浪與藥,無非熱補,輕病為重。重病為死者多矣。
何者?
人之所藉以為生者,血與氣也。
或因憂鬱,或因厚味,或因無汗,或因補劑,
氣騰血沸,清化為濁,老痰宿飲,膠固雜糅,
脈道阻澀,不能自行,亦見澀狀。
若重取至骨,來似有力且帶數,以意參之,
於証驗之,形氣但有熱証,當作痼熱可也。
此論為初學者發,圓機之士必以為贅。

『格致餘論注釈』訳を使用:
人が病気になるには、寒・熱・実・虚の四種類がある。
だから、脈を学ぶものもまた浮脈・沈脈・遅脈・数脈を基本として
病状を診察しなければならない。
これは変えることができない論なのである。
しかし濇脈が現れた場合は、虚・寒の病気であることが
もちろん多いのであるが、なかには長年にわたる
慢性的な熱のために病気になるものもいるのだ。
医者は指の下に不足の気の状態を感じとると、
すぐに虚であるとか、あるいは寒であるとか判断し、
軽率に投薬して熱をもたせたり補ったりして、
軽い病気の人を重病としたり、
重い病気の人を死に至らしめてしまうことが多い。
なぜだろうか?

人が生きていくためにその力を利用しているものは、血と気である。
憂鬱のためであったり、美食のためであったり、
汗をかかないためであったり、或いは滋養剤のために、
血気が沸騰し、清らかなものが濁ってしまい、
去痰や宿飲に苦しみ、膠で固めたように堅くなり混ざり合って、
脈道が塞がれ滞って自然に流れることができないときも、
濇脈の症状を現すのである。
もし骨に至るまで重く脈を取り、
力があるようでかつ数脈を帯びるようであったならば、
(各自の)考えで斟酌し、症状によって確かめ
形気に熱証があるだけのようだったならば、
当然慢性的な熱と診断するのがよろしい。
これは初学者のために論じたものであり、
円熟した医者には言わずもがなのことではある。


参考文献:
『格致餘論注釈』 医聖社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

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