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こんにちは盧です。
調べ物をしていて中医学について
ふとこんなことを思いました。

中医学において、「証」は患者さんの体を表現する言葉で
診断即治療の東洋医学においては治療目標であります。
もっとも論理的思考が強く、より西洋医学に近く、
言語的な東洋医学が中医学と言っても過言ではないかもしれません。

言語化につよい中医学は
「困難は分割せよ」とデカルトが言ったように、
複雑な人体において、肝の病症だけでも多くの分類があり
『中医症候鑑別診断学』の中では
「肝」の蔵府弁証について十の証に分かれます。
(肝血虚、肝陰虚、肝陽虚、肝気鬱結、肝火上炎、肝陽上亢、肝風内動、肝血瘀滞、肝経湿熱、寒滞肝脈、etc・・・)

日々の臨床の中で、論理的な思考を通じて
「分けるは分かるに通じる」
と言われるように細かいな差異を感じつつ
ベッドサイドに向かい合うというのが僕らの日常なのでしょう。

しかし「分ける」だけではいけないようです。
「分けられる(分割)」ものの裏には必ず「共通する(統合)」部分があり
そこを忘れてしまうと、アリ地獄のように言葉と解釈から抜け出せなくなり
中医学が「言葉遊び」「教条的」
といわれる所以となるのでしょう。

よく考えれば
それは中医に限ったことではなく
あらゆる物事が「分割」と「統合」を繰り返し
常に影響し合いながら、物を形作っているのかもしれません。

去年の京都にて
去年の京都にて

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