甲子園のスタンド
甲子園のスタンド

こんにちは、新川です。

夏の甲子園は日大三高(西東京)の優勝で幕を閉じましたが、
今年も熱戦が多く、非常に見応えがありました!

先日、北陸地方の高校が出場するとのことで、
休日に早起きして甲子園へ行ってきました。

第一試合(8:00試合開始)の
30分前には到着しましたが、
予想以上の人の多さにびっくり。
レフトスタンドに陣取り、
暫くするとプレイボールのサイレンと共に、
選手達が一斉にグランドへ。
その瞬間、場内の空気が変わり
独特の緊張感と高揚感に包まれました。

試合に関しましては、
最終的には大差での敗退となりましたが、
途中までは拮抗した好ゲーム。
試合後の応援席からの大拍手には、
目頭が熱くなってしまいました。

さて、今回は、
黄帝内経素問 脈要精微論篇
についての記事です。
内容が長いため、2つに分けてまとめております。

(※続きを読むには↓のRead the rest of this entry »をクリックして下さい。)


今回は、脈要精微論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。


【脈要精微論篇 第十七】①

この篇では、脈診と望診の重要性を特に強調している。
今回は、特に脈診について取り上げていく。

黄帝が問う。
「脈を診る方法はどのようであろうか」
岐伯が答える。
脈を診るのに最適な時間は早朝です。
つまり、そのような時間であれば、
人はまだ行動を起こしていないので、
陰気は動き乱れていないし、
陽気はまだ消耗・発散しておらず、
食事もまだ摂っていないので、
経気の気も旺盛となっておらず、
経脈の気も調和しており、
気血もまだバランスをくずしていないからです。
このような環境であれば、
病気のときの脈象を容易に診察することができるのです。」

「脈道は血液が聚まっている部分であり、
血はこの中を循環して流動しています。
しかし血が順調に流動できるのは、
気の推し動かす働きに支えられています。
そこで、
長脈が現れていれば、
それは気が暢びやかに流れているいい状態を意味していることになります。
→柔和な感覚が伴えば、正常脈といえる。

短脈であれば気に病があります。
→気虚または気鬱により生じることが多い。

数脈であれば煩心を病みます。
→『煩心』とは、熱性病の煩躁症状をさす。

大脈であれば病気に勢いがあり、ちょうど進行状態にあります。
→有力なものは熱盛の実証で病変が進行していることを示すが、無力なものは「陰虚不斂」の虚証を示す。

上部の脈搏が旺盛であれば、気が上に逆行しています。
→張景岳の説「上に盛んであるとは、邪気が上にこもっていることであり、気高しとはつまってあえぐの意味である。」

下部の脈搏が旺盛であれば、気が下に脹っています。
→張景岳の説「下に盛んであるとは、邪気が下に鬱滞していることで、そのため腹部は脹満している。」

●脈が一時休止する代脈であれば気が衰えています。
→臓気が衰えて気血が虚損し、脈気が連続しなくなると、定期的に欠損することがある。

●脈が細小であれば気が少なくなっています。
→「気少なし」とは気虚に類似した意味である。またこの場合、細脈で拍動無力を呈することが多い。

●脈がであれば心痛を病んでいます。」
→脈搏が渋滞してスムーズに搏たないので、血が少なくなり気滞を引き起こして心痛の症状を現すようになる。

「脈を診ることは最も微妙な技術であり、
細心の研究をしなくてはなりません。

その研究には一定の原則があります。
まず、陰陽を分別することから始め、
次には
五行に準拠して分析をすすめていきます。
分析の方法は、それが
四季を相い適応しているかどうかに留意して調べます。
及ばざるものには補法を用い、太過なるものには瀉法を用います。
補法、瀉法を間違えず、
人体の活動を天地の陰陽と一致させます。
これらを知ることができれば、
死生を予め決めることができます。
そこで診察の方法としては、
声を聴いて五音と配当させて分析し、
気色を見て五行と配当させ、
相生、相克の関係をはっきりとさせます。

脈象を診るにあたっては陰陽と照らし合わせて、
浮沈を弁別します。」

②へ続く


黄帝問曰、診法何如。
岐伯対曰、診法常以平旦。
陰気未動、陽気未散、飲食未進、経脈未盛、絡脈調匀、気血未乱。
故乃可診有過之脈。
切脈動静、而視精明、察五色、観五蔵有余不足、六府強弱、形之盛衰。以此参伍、決死生之分。
夫脈者、血之府也。
長則気治。短則気病。
数則煩心。大則病進。
上盛則気高。下盛則気脹。
代則気衰。細則気少。濇則心痛。
渾渾革至如涌泉、病進而色弊。綿綿其去如弦絶、死。
夫精明五色者、気之華也。赤欲如白裹朱、不欲如赭。
白欲如鵝羽、不欲如塩。青欲如蒼璧之沢、不欲如藍。
黄欲如羅裹雄黄、不欲如黄土。黒欲如重漆色、不欲如地蒼。
五色精微象見矣、其寿不久也。
夫精明者、所以視万物、別白黒、審短長。以長為短、以白為黒。如是則精衰矣。

五蔵者、中之守也。
中盛蔵満、気勝傷恐者、声如従室中言、是中気之湿也。
言而微、終日乃復言者、此奪気也。衣被不斂、言語善悪、不避親疏者、此神明之乱也。
倉廩不蔵者、是門戸不要也。水泉不止者、是膀胱不蔵也。得守者生、失守者死。

夫五蔵者、身之強也。頭者、精明之府。頭傾視深、精神将奪矣。
背者、胸中之府、背曲肩隨、府将壊矣。
腰者、腎之府。転揺不能、腎将憊矣。
膝者、筋之府。屈伸不能、行則僂附、筋将憊矣。
骨者、髄之府、不能久立、行則振掉、骨将憊矣。得強則生、失強則死。

岐伯曰。反四時者、有余為精、不足為消。
応太過、不足為精。応不足、有余為消。陰陽不相応、病名曰関格。

帝曰、脈其四時動奈何。知病之所在奈何。
知病之所変奈何。知病乍在内奈何。知病乍在外奈何。
請問此五者、可得聞乎。
岐伯曰、請言其与天運転大也。万物之外、六合之内、天地之変、陰陽之応、彼春之暖、為夏之暑、彼秋之忿、為冬之怒。
四変之動、脈与之上下。以春応中規、夏応中矩、秋応中衡、冬応中権。
是故冬至四十五日、陽気微上、陰気微下。
夏至四十五日、陰気微上、陽気微下。陰陽有時、与脈為期。期而相失、知脈所分、分之有期。
故知死時。微妙在脈、不可不察。察之有紀、従陰陽始。始之有経、従五行生。生之有度、四時為宜。補写勿失、与天地如一。
得一之情、以知死生。是故声合五音、色合五行、脈合陰陽。
是知陰盛則夢渉大水恐懼、陽盛則夢大火燔灼、陰陽倶盛則夢相殺毀傷。
上盛則夢飛、下盛則夢墮、甚飽則夢予、甚飢則夢取。肝気盛則夢怒、肺気盛則夢哭。短虫多則夢聚衆、長虫多則夢相撃毀傷。
是故持脈有道。虚静為保。春日浮、如魚之遊在波。夏日在膚、泛泛乎万物有余。
秋日下膚、蟄虫将去。冬日在骨、蟄虫周密、君子居室。
故曰、知内者按而紀之、知外者終而始之。此六者、持脈之大法。

心脈搏堅而長、当病舌卷不能言。其耎而散者、当消環自已。肺脈搏堅而長、当病唾血。
其耎而散者、当病潅汗、至今不復散発也。肝脈搏堅而長、色不青、当病墜若搏。因血在脇下、令人喘逆。其耎而散、色沢者、当病溢飲。
溢飲者、渇暴多飲、而易入肌皮腸胃之外也。胃脈搏堅而長、其色赤、当病折髀。
其耎而散者、当病食痺。脾脈搏堅而長、其色黄、当病少気。
其耎而散、色不沢者、当病足䯒腫若水状也。腎脈搏堅而長、其色黄而赤者、当病折腰。其耎而散者、当病少血、至今不復也。

帝曰、診得心脈而急。此為何病。病形何如。
岐伯曰、病名心疝。少腹当有形也。
帝曰、何以言之。
岐伯曰、心為牡蔵。小腸為之使。故曰少腹当有形也。
帝曰、診得胃脈。病形何如。
岐伯曰、胃脈実則脹、虚則泄。

帝曰、病成而変何謂。
岐伯曰、風成為寒熱。癉成為消中。厥成為巓疾。久風為飧泄。脈風成為癘。病之変化、不可勝数。

帝曰、諸癰腫筋攣骨痛、此皆安生。
岐伯曰、此寒気之腫、八風之変也。
帝曰、治之奈何。
岐伯曰、此四時之病、以其勝治之愈也。

帝曰、有故病五蔵発動、因傷脈色。各何以知其久暴至之病乎。
岐伯曰、悉乎哉問也。徴其脈小色不奪者、新病也。徴其脈不奪、其色奪者、此久病也。徴其脈与五色倶奪者、此久病也。
徴其脈与五色倶不奪者、新病也。肝与腎脈並至、其色蒼赤、当病毀傷。不見血、已見血、湿若中水也。

尺内両傍、則季脇也。尺外以候腎、尺裏以候腹。中附上、左外以候肝、内以候鬲。右外以候胃、内以候脾。上附上、右外以候肺、内以候胸中。左外以候心、内以候膻中。前以候前、後以候後。上竟上者、胸喉中事也。下竟下者、少腹腰股膝脛足中事也。
麤大者、陰不足、陽有余、為熱中也。来疾去徐、上実下虚、為厥巓疾。来徐去疾、上虚下実、為悪風也。故中悪風者、陽気受也。有脈倶沈細数者、少陰厥也。沈細数散者、寒熱也。浮而散者、為眴仆。諸浮不躁者、皆在陽、則為熱。其有躁者在手。諸細而沈者、皆在陰、則為骨痛。其有静者在足。数動一代者、病在陽之脈也。泄及便膿血。諸過者切之、濇者陽気有余也。滑者、陰気有余也。陽気有余、為身熱無汗。陰気有余、為多汗身寒。陰陽有余、則無汗而寒。推而外之、内而不外、有心腹積也。推而内之、外而不内、身有熱也。推而上之、上而不下、腰足清也。推而下之、下而不上、頭項痛也。按之至骨、脈気少者、腰脊痛而身有痺也。


参考文献:
『黄帝内経素問 上巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『中医臨床のための舌診と脈診』 医歯薬出版株式会社

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