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「或人うたがひて曰、
養生をこのむ人は、ひとへに我身をおもんじて、
命たもつを専にす。されども君子は義をおもしとす。
故に義にあたりては、身をすて命をおしまず。
危を観ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。
もしわが身をひとへにおもんじて、
少なる髪膚までそこなひやぶらざらんとせば、
大節にのぞんで命をおしみ、義をうしなふべしと云。
答て曰、
およその事、常あり、変あり。
常に居ては常を行なひ、変にのぞみては変を行なふ。
その時にあたりて義にしたがふべし。
無事の時、身を重んじて命たもつは、
常に居るの道なり。
大節にのぞんで、命をすててかへり見ざるは、
変にをるの義なり。
常にをるの道と、変に居るの義と、
同じからざる事をわきまへば、此うたがひなかるべし。
君子の道は道宜にかなひ、事変に随ふをよしとす。
たとへば夏かたびらを着、冬はかさねぎをするが如し。
一時をつねとして、一偏にかかはるべからず。
誠に常の時身を養ひて堅固にたもたずんば、
大節にのぞんでつよく戦ひをはげみて命をすつる事、
身よわくしては成がたかるべし。
故に常のときよく気を養なはば、変にのぞんで勇あるべし。」

貝原 益軒『養生訓』より

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下野です。
本日は『養生訓』の記事になります。

冒頭文の文章が非常に長いのですが、
現代語に訳してみましょう。
「ある者が疑いながら
『養生を好む者は、
ただ我が身を重んじ、生命を保つことに専念している。
しかしだ、君子は義を重んじる者であり、
それならば身を捨て、
命を惜しまず危に我が命を投げ出し、
困難に臨むものである。
もし我が身を重んじ、
髪や皮膚が損じることをしないとするなら、
難局な場面で命を惜しみ、義を失うのではないか?』と言った。

これに私は次の様に答えよう。
『物事には平時と変事があり、
平時にはいつも通りに事を行い、
変事には臨み変則で事に当たる。
義に従うべき時は義に従う。
平時に身を重んじるのは平時の常であり、
忠義を尽くすべき時に命をかけるのは
変事における義である。
つまり平時と変事はちがうのだと分かっていれば、
このような疑問は湧かないだろう。
君子の道は時宜にかない、変に従うがよし。
言い換えれば、
夏には単衣を着て、冬は重ね着をするということで、
一つの事ばかりにこだわるのは良くない。

ことに、
平時には身を養い、堅固に保っていなければ、
いざという時に命をかける事が出来ない。
体が弱かったら不可能であろう。
したがって、
平時に気を養っておけば、
変事に臨んでときに勇気も湧いてくるのである。』と。」
(訳が長いので、分かりやすく色分けしました。)

本当に長い文章でした(^_^;
内容を簡単に言い換えれば
「常に体を養っていれば、
どんな状況になっても行動できる」と
いったとこでしょうか。
このように『養生訓』の中には
変事や災害時に備えての過ごし方等も記載され、
万が一の時に冷静に対処出来るように
指南をしており、
最悪の状況下であっても
最小限の被害(心身にとって)に食い止めるためでしょう。

この文章ではおそらく戦でしょうが、
災害を例に挙げると、
現代でもそうですが、
災害時には心身に及ぼす病が増加し、
心理カウンセリングなんかも
被災者向けに治療として取り入れられているようです。
平素から
心身を傷つけているようでは、
災害時に大きな衝撃となって跳ね返ってきますし、
直接被害に遭っていない方でも、
その映像を観たことにより
精神的な負担を受けることが多くあります。

「減災」といった言葉がありますが、
これも一種の減災になると思います。
以前にも同じ『養生訓』の
「天災を恐れよ」(https://www.1sshindo.com/blog/zenith12738/)という記事を書きました。
こちらもご参考にしてもらえればと思います。

ちなみに、
鍼灸でその様な負担を
取り除くことは可能ですので、
ご安心頂ければと思います。

散りゆく直前の桜
散りゆく直前の桜

 


<参考文献>
『養生訓』 貝原守一博士校訂本
『口語 養生訓』 日本評論社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

下野

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