今回は、六節蔵象論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。


【六節蔵象論篇 第九】

黄帝がいう。
「六六、九九配当の道理はよく理解できた。
ただ余気を積み重ねて閏月にするという場合、
何を気というのか、まだよくわからない。
どうかもう少し解釈して私の蒙昧としているところを啓発し、
疑問を解いてほしい。」

岐伯がいう。
「五日は六十刻で、一甲子になり、一候とよばれます。
三候は十五日で、一節気となります。
六節気は九十日で、一時とよばれます。
四時は三百六十日で一年になります。
一年四時の中にそれぞれ旺盛となる気があります。
五行運行の気はお互い順々に伝え合い、
それぞれ自己が旺盛となるときがあります。
一年の最終日になると、また初めから始まります。
一年は四時に分かれ、四時に節気が配分され、
繰り返し循環することは、端のない環のようなものです。
五日一候の移り変わりも同様です。
そのために、その年の六気の運り、節気の盛衰、病気の虚実などの
問題を知らなければ、一人前の医師として不充分だ
、というのです。」

黄帝がいう。
「何を勝つ所というのか。」
岐伯がいう。
「春は長夏に勝ち、長夏は冬に勝ち、冬は夏に勝ち、夏は秋に勝ち、秋は春に勝つ、
これが四時五行の気が季節ごとに相いに勝つ関係です。
一方、四時五行の気は人の五蔵に対しても影響を及ぼします。
春木は肝に合し、夏火は心に合し、長夏の土は脾に合し、秋金は肺に合し、冬水は腎に合す、
というようにです。」

黄帝がいう。「どのようにしたら、その勝つ所を知ることができるのか。」
岐伯がいう。「勝つ所を知るには、まず気候の訪れるときを推察することです。
推察する方法は、一般に立春を基準とします。
季節的には早いのに気候が先に来てしまうものを
太過とよびます。
太過になると、もともと自分(その季節本来の気)が
剋されるところの気を逆に侵したり、本来自分が剋すところの気をさらに抑制します。
このような状態を
気淫といいます。
すでに季節は来ているのに気候がまだ来ないものを
不及とよびます。
不及になると、もともと自分(その季節本来の気)に剋されてしまうはずの気が、
制約がないために妄行し、
一方生ずるところ気は援助を欠くために病を受け(その季節本来の気である)その気自体も本来自分が剋されるところの気によりさらに迫害を受けてしまいます。
このような状態を
気迫といいます。

わゆる「その至を求む」とは、
時令から気候の到来の時期を推察することです。
春・夏・秋・冬の時令をつつしんで観察すれば、
木・火・土・金・水の五行の気の変化について期日を決めることができます。
もしも医師が時令を誤って気候に反し、
五運の気の変化の旺盛となるときを分別できないと、
病人は邪気を受けて病を生じるようになり、
病状の吉凶・禁忌をも理解できなくなってしまいます。

黄帝がいう。「五行の気の運行が順次引き継がれていかないことはあるのだろうか。」
岐伯がいう。「自然界の気は四時の順序に運行し、
規律をはずれることはありません。
もしこの規律はずれるなら、異常であり、異変による被害を生じます」
黄帝がいう。「異常によってどのように変わるのか」
岐伯がいう。「気候の異常は、人によく疾病を生じさせます。
たとえば春が長夏の特徴である湿気の多い気候であれば
(勝つ所を指す。つまり木克土)、病はまだ軽いのです。
もし春が秋の特徴である粛殺の気候であれば
(勝たざる所、つまり金克木)、病は重くなってしまいます。
このとき、さらに他の邪気を受けてしまうと死に至る危険性があります。
そこで異常な気候が現れたときに、自分(その季節本来の気)が剋されない時期であれば、病は比較的軽く、
自分が剋されてしまう時期であれば、病は重くなります。」
黄帝がいう。 「大変すばらしい。」


以下、原文を掲載し、上記赤、橙字の部分に対応している部分を、
緑字で色付けしております。
帝曰、余已聞六六九九之会也。夫子言積気盈閏。
願聞何謂気。請夫子発蒙解惑焉。

岐伯曰、此上帝所秘、先師伝之也。
帝曰、請遂聞之。
岐伯曰、五日謂之候。三候謂之気。六気謂之時。四時謂之歳。而各従其主治焉。
五運相襲、而皆治之、終期之日、周而復始。時立気布、如環無端。候亦同法。
故曰、不知年之所加、気之盛衰、虚実之所起、不可以為工矣。

帝曰、何謂所勝。岐伯曰、春勝長夏、長夏勝冬、冬勝夏、夏勝秋、秋勝春。
所謂得五行時之勝。各以気命其蔵。
帝曰、何以知其勝。
岐伯曰、求其至也、皆帰始春。未至而至、此謂太過。則薄所不勝、而乗所勝也。命曰気淫。
不分邪僻内生、工不能禁。至而不至、此謂不及。則所勝妄行、而所生受病。所不勝薄之也。命曰気迫。

所謂求其至者、気至之時也。謹候其時、気可与期。失時反候、五治不分、邪僻内生、工不能禁也。

帝曰、有不襲乎。
岐伯曰、蒼天之気、不得無常也。気之不襲、是謂非常。非常則変矣。
帝曰、非常而変奈何。
岐伯曰、変至則病。所勝則微、所不勝則甚。因而重感於邪、則死矣。
故非其時則微、当其時則甚也。帝曰、善。

新川


参考文献:
『黄帝内経素問 上巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『中医脉学と瀕湖脉学』 たにぐち書店
『臓腑経絡学』 アルテミシア

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here