情報を流し込むということと、
まことに理解するということは大きく異なる。

まことに理解するには何年費やしても良い。
その作業で得た思考の回り道もまた、大いなる宝となる。
簡単な様で出来る者は少ない。
多くは情報の奴隷だ。

学ぶことさえ教える事が出来れば
あとは僕など用済みだ。
ただ、何年も何年もかかる。

では、
何故、現代の学校教育というものが、
まことに学ぶということから青年達をかようにも
遠ざけてしまったのか。
僕は、そのような教育が憎くてしょうがない。
生成されるのは、心を失った箱の様なものだ。
そうではなかったはず。
智慧に溢れる子供達であったはず。

数年前に一人の女性から、
自分の好きな事がなにかわからない。
なにが好きなのか、なにが嫌いなのかもわからない。
どうやったら見つかるか、と言われた。
とても心が痛んで、今も心に残っている。
指導者は彼女に一体なにを教育してきたのか。

昔の詰め込み式も違うし、
現在の過保護すぎる個人尊重、快楽主義とも違う。
自分自身の命そのもので
学び、喜び、苦しみ、勝ち得る生命そのものの
色彩豊かな経験だ。
大地そのものだ!

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