修行生に
「一生懸命やったが、伝わらないようですので、自分としては…云々。」
という旨の言葉を受けた。
どうだろうか。
果たして、一度で伝わる気持ちや行動なんてあるのだろうか。
僕は少なくとも、いつか、誰かに伝われと思って、
自分の納得の出来る仕事をしているので、
それを伝わらないからと言われても僕には感覚的にわからないし、
受け入れがたい。
恋愛も仕事も、形にならない行動も、
ダイレクトに伝わることって少ないし、
いつか伝わればいい。
いや、
むしろ、伝わらないまま貫き通して
自分の生を全うするっていうところに真の美しさがあると
個人的には思っている。
むしろ、そこは聖域となり、
誰にも侵されない場所となり、
わかってたまるかよという意識が生まれている。
万人に単純に伝わるような浅い仕事なんか、
たとえ、この世から失われても、
きっと失われたことさえも気付かれない程の
存在感しか持ち得ないのではなかろうか。
彼は“わかってもらえない”という。
僕は“わかられてたまるかよ。”
と、思っている。
いろんな奴がいる。

追記。
こういうことを書くと彼は怒るような気もする。
そう。
では、僕の真意が伝わっていないということになる。
とあれば、立場が逆転するという矛盾に気付くであろう。
上記の気持ちが芽生えたとき、
伝わらなかったという思いを得た相手自身に、
己が置き換わってしまっているという事にならないか。
つまり、相手と己を同時に理解していないことになる。

彼にも“簡単にわかってもらえてたまるかよ”という日が訪れると、
また、僕的には面白いのだが。
さて。

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