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こんにちは、為沢です。

今日は扁鵲へんじゃくについて御紹介致します。

扁鵲
扁鵲

扁鵲は中国の春秋戦国時代(B.C.770~B.C.221)に生きたとされる名医です。
性は秦(しん)、名は越人(えつじん)。
司馬遷の『史記』「扁鵲倉公列伝」によると

“扁鵲者、勃海郡鄭人也。姓秦氏、名越人。”

勃海群鄭の人とある。が古代歴史家の中で多説あるそうです。

姓は秦、名は越人という。
長桑君ちょうそうくんという隠者と知り合い、10余年接した後、医術の秘伝を受けたとされてます。
長桑君から秘薬と秘伝の書を受け取った扁鵲は、
秘薬を飲み、30日経つと塀の向こう側の人が見えるようになったり、
病人を診ると一目で臓腑の病変が見えるようになったそうです。
扁鵲は名声を博し、名医として名を挙げました。

扁鵲は望・聞・問・切の四診法に精通しており、
望診と脈診に関してはかなりの技術を要していたと言われております。
司馬遷は扁鵲の脈診を高く評価し、
『史記』「扁鵲倉公列伝」の中で

“到今天下言脈者、由扁鵲也。”

今に到るまで天下に脈診をいう者は、扁鵲に由るなり。
と記している。

扁鵲は内科に特化していただけでなく、
外科、婦人科、小児科、(目・耳・鼻・口・舌の)五官科、鍼灸科など
医術全般に渡って優れた技術を発揮していました。
扁鵲の用いた治療法は様々で、
湯液を活用したほかに、鍼灸・按摩・熨貼(火のし)・手術などを駆使しました。

扁鵲の有名なエピソードにかくという国に立ち寄った時の話があります。
その国の皇太子が突然死し、
人民が葬式の準備をしているところに遭遇しました。
扁鵲は侍従に皇太子が死亡した経緯を聞くと、
これはと尸蹶しけつ(失神のこと)という症状で、まだ仮死状態であると診断し、
扁鵲の薬と鍼を受けたところ、皇太子はみるみる改善し
人々を驚かせました。
後世の人々はこれを「起死回生」の模範として讃え、
語り継いでいます。


参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『東洋医学概論』医道の日本社
『現代語訳◉黄帝内経素問』
『現代語訳◉黄帝内経霊枢』
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社

画像:
『図像本草蒙筌』総論,首巻,巻之1-12
早稲田大学図書館古典籍総合データベースより
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ni01/ni01_00815/index.html

為沢

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