「”学者”とは
徳によって与えられる名であって、
学識によるものではない。
学識は学才であって、
生まれつきその才能をもつ人が
学者になることは困難ではない。
しかし、いかに学識に秀でていても
徳を欠くならば学者ではない。
学識があるだけではただの人である。
無学の人でも徳を備えた人は、
ただの人ではない。
学識はないが学者である。」

中江 藤樹

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下野です。
今回は東洋医学的な内容から
少し離れた記事になります。
では早速、
冒頭の言葉を残した
中江 藤樹なかえ とうじゅ先生の紹介です。

 

中江 藤樹(1608〜1648)
近江の国(現在の滋賀県)の儒学者で、
わが国における陽明学の開祖。
彼には門弟がおり、
彼らには学問や知識よりも、
徳と人格を非常に重んじ、
真の”学者”とはというものを教え、
それを表したのが冒頭の文になります。
藤樹先生の数多くの徳行から
没後に〈近江聖人〉と称えられています。

 

僕が中江藤樹先生を知ったのは
新渡戸稲造の『武士道』、
岡倉天心の『茶の本』と並び
世界に日本人論を紹介した
内村鑑三の『代表的日本人』を読んでからですが、
なぜこの藤樹先生をピックアップしたのか。
「東洋医学的な内容から離れます。」
と書いておきながら、
実は少し絡んでくる話があり、
その事もあって今回記事にしました。

その内容が、
藤樹先生の門弟に大野了佐という人物がおり、
彼は軽度の知的障害があったとされています。
武士の家庭に生まれながら
武士としてはやっていけないと思い、
何か世の人の役に立ちたいと医学を学ぶ決心をし
門弟に加わったのですが、
ただやはり医学を教えることは至難の業で
同じ事を何百回と繰り返し教えても
知識として残らず、
藤樹先生も頭を抱えたようです。
ただ了佐の医学に対する熱意に動かされて
彼のために捷径医筌しょうけいいせんという医書を編纂し
了佐を一人前の医師に育てたという話です。

『捷径医筌』は
脈診、灸法、本草、経穴学、各種疾患の病因病機等を
3年の月日をかけてまとめたもので、
現代ではネット上でその書物を見ることが出来ます。
非常に有り難いことですね。

今でも
出身地である安曇川町(現 高島市)には
藤樹神社や私塾の藤樹書院の史跡が残り、
命日には儒式の祭典が行われており、
一度は行ってみたいと思います。

ちなみに
歴代の医家である孫思邈そんしばく
も徳を大切にしており、
医家としての心得「大医精誠」を
『千金方』に記しています。

では。

海

<参考文献>
『代表的日本人』 岩波文庫
『100分de名著 内村鑑三「代表的日本人」』 NHKテレビテキスト

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

下野

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