鍼師になるのに
健康でなくてはならないと何度か
耳にした事がある。
私はそうは思わない。
鍼師こそ
病に悩み 苦しむべきではないかと思う。
なぜならば 実に
健康体である人の鍼や発言が
とんちんかんで軽く感じる事がある。
己の命を削った鍼はやはり
違う物だと思う。
技術の奥になにかがある。
絶対に。
仏性といっても近い思う。
利益のためや、いち職業として持つ鍼なんか
そんなものに比べれば 軽い 軽い
自分が苦しんだ経験。
自分の愛する人が病に苦しみ
鍼師として立ち向かい、
時にうまいこといかず
もがき苦しむ経験が
われわれには 必要なのではないかと感じるからだ。
(あるいは、そうやって苦しんできた私自身への
慰めなのかもしれないが。)
病に苦しんでいて
これから鍼師になるもの すでに鍼師の者も
自分の為、
患者のため 思う存分悩めばいいと思う。
何も負い目に感じる事はないと思う。
眼に前の患者さんに そうやって得たあなたの鍼を表現
してあげればよいと思う。
決して無駄ではなく
むしろ あなたに対する試練であり
医療人は健康人でなければならないという
言葉に少し歯向かいたくなる気分が
いつも私の心の片隅にある。
恵まれた条件で 己を正しい位置に定め続けるのはむずかしい。
病はよい道しるべになることがある。
想いが強い者程、
困難に直面するという皮肉とも思える現実がある。
しかし
それは天から送られた試練でありご褒美なのではないだろうか。
その者をそこへ定め置く為の。
人にはそれぞれ使命というものがあり
病や不幸が鍼師としての鎖となることがあろう。
優れた芸術家が
皮肉にも五感の一部を失ってしまうことが
あるのと同じように。
出生の本懐を知れ!
一鍼堂 林玄一

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