どうも、新川です。

もう少しすると
紅葉も見頃を迎える季節となり、
二十四節気でいえば、
【立冬】の時期を迎えようとしています。

冬の気配を感じ始める時期でもありますね。
師走に向けて気忙しくなりそうですが、
こういうときこそ、足下を見つめて過ごしたいものです。

さて今回は、
脈解篇についてです。


今回は、脈解篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。


【脈解篇 四十九】

正月は一年の陽気が発生し始める頭初であり、
月建の方位は寅であり、
したがって太陽に属している。

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◉正月は太陽にして寅
→王冰の説
「正月は三陽を生じ、建寅を主る。
三陽とは太陽のことであり、そこで寅を太陽としたのである」
正月は一年の始めであり、太陽は三つの陽の主気であり、三陽の首である。
それゆえ正月は太陽に属する。

【斗綱】
北斗星は七つの星から成っていて、
第一を魁といい、第五を衡といい、第七を杓といい、
この魁、衡、杓の三星がいわゆる斗綱である。

【月建】
正月には斗綱が寅を指し、二月には卯を指し、三月には辰を指し、
四月には巳を指し、五月には午を指し、六月には未を指し、
七月には申を指し、八月には酉を指し、九月には戌を指し、
十月には亥を指し、十一月には子を指し、十二月には丑を指す。
これを月建という。

正月の月建は寅であり、それで正月は太陽にして寅というのである。
古人は十二辰によって地の方位を配分し、
斗綱が指す方位を観測して時令を定めた。
正月の夕刻には杓星が寅の方位を指し、夜半には衡星が寅の方位を指し、
明け方には魁星が寅の方位を指すのである。
その他の月もこれと同じ具合である。

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太陽膀胱経の病症

「腰と臂が腫れて痛む」

→正月は一年の陽気が発生し始める頭初であり、
月建の方位は寅であり、したがって太陽に属している。
このように正月は陽気が昇り始める季節ではあるが、
実際には陰寒の気がなおまだ盛んであって、
陽気は順を遂って旺盛となるに充分な状態には到達していない。
そのために腰と臂が腫れ痛むのである。

左右の経脈の一方の陽気が偏り虚して足をひきずる病がある。

→これは正月に陽気が凍った地面を解いて出ようとするときに、
冬の寒気の影響を受けて、体内の陽気がかなり不足するので、
一方の側の足の陽気が一方的に虚して、
足をひきずる症状が発生するのである。

「頭項が強ばり硬くなって脊中にまで及ぶ」症状がある。

→これは陽気が上り過ぎたために、
〔太陽経脈が撹乱されて〕起こるのである。

「耳鳴」の病状

→人体の陽気が、自然界の万物の陽気が上に昇って活躍するように、
上部に集中するために発生するのである。

「陽気が盛んになりすぎて起こる癲癇や狂躁」の疾病

→陽気がすべて上部に集中し、陰気がかえって下部に集まり、
陰陽の気が調和しないで、下虚上実の状況となり、
そのために発生するのである。

「陽気が逆上して起こる耳聾」

→その原因は陰陽の気の失調である。

「陽気が内部に進入して啞になって言葉がしゃべれなくなる」

→〔発声のもとである〕陽気が〔中に入ってしまって〕足りなくなるので、
そのために言葉がしゃべれなくなるのである。

「瘖痱病」
色欲が過度で精気を消耗しすぎると、四肢が厥冷し、
甚だしい場合には、言葉がしゃべれないで四肢がだらりとしてきかなくなるとなる。

→これは腎蔵が衰弱して、
少陰腎経の経気が四肢に到達することができなくなったためである。


少陽胆経の病症

少陽胆経に発生するいわゆる心脇疼痛の症状

→少陽胆経の邪気が盛んなために起こるのであり、
少陽胆経の邪気が盛んな場合に、
病の本は胆経にあるが、
その影響が腋から出ている心経に波及するのである。
九月は陽気が尽きようとし、
陰気が盛んになろうとする時候で、
〔少陽に相当するので〕心脇部に疼痛が発生するのである。

「寝返りがうてない」という症状

→九月は陰気が次第に盛んになり、
万物が収蔵の働きを始める月であって、
静かで動かない状態となるので、
人体の少陽胆経の経気もその影響を受け、
寝返りができなくなるである。

「甚だしいときには足が躍る」

→九月は万物が衰敗する季節であって、草木は枯れ落ち、
人体の陽気も表から裏に入り、陰気は上部で盛んとなり、
陽気は下に向かって進んで両足を動かすので、
その結果として両足が跳躍するような状態が起こりやすくなるのである。


陽明胃経の病症

「水を注がれたように悪寒がしてふるえる」

→この原因は、陽明経の経気が五月に最も旺盛で、
月建の方位は午であり、陽が極まって陰が生まれ始める時期であるからである。
陽気が最も旺盛な時期に、陰気が加えられるので、
陽明経の病は水を注がれたようにぞくぞくしてふるえるのである。

「足の脛が腫れて両股が弛緩して無力となる」

→この陽が極まって陰が生まれ始める五月の季節のように陽気の衰退が始まり、
しかも一陰の気が上ってきて喘息のようになるのは、
陰気が下から重ねて上昇する時期であって、
水邪がこれとともに上って蔵府の間に散布され、
水液が上部に停滞するようになるので、
喘息様の症状が起こるのである。
もし胸部が痛んで呼吸が浅くなってくるならば、
これも水気が蔵府の間に停留しているのである。
水液は陰気に属していて、
これが体内に潴留するので、胸痛や呼吸短浅などの症状が現れるのである。

「病が甚だしいと四肢が厥冷し、安静を望み、人に会うことを嫌がり、
灯火の光りさえ恐れ、木を撃つ音を聞くとびっくりして驚き恐れたりする」

→陽気と陰気とが相い争い、水火が協調しないために、
このような恐れおののく症状が起こるのである。

「戸や窓を閉じて独りで部屋にこもる」

→陰気と陽気が相い争い、その結果として陽気が衰え、陰気が盛んとなるためで、
陰気の盛んな者は静かなのを喜ぶために
病人は戸や窓を閉ざし独りでとじこもることを好むようになるのである。

「病が極まると高い所に乗って歌い、衣服を脱ぎすてて走り出そうとする」

→陰陽の二気が重ねて相い争い、その結果、陽気が盛んとなり、
邪気が陽経〔の気〕に合するので、高い所に登って歌ったり、
衣服を脱ぎ散らして走るような精神錯乱状態を起こすのである。

「孫脈に宿れば則ち頭が痛み、鼻が塞がり、腹が腫れる」

→陽明胃経の邪気が上部の細小な絡脈と大陰脈とに合わさるためであり、
邪気が上部の細小な絡脈に侵入するので、
頭痛や鼻づまりや流涕が起こり、邪気が同時に太陰脾経にも侵入するので、
腹部が腫脹するのである。


太陰脾経の病症

「腹が張る」

→太陰は陰中の至陰であって、月としては子の月、
十一月に属し、十一月は万物を収蔵する季節であって、
人体の陽気も中に退き蔵められるからである。
太陰脾経の経脈は腹に入り、脾に属し胃に絡しているから、
もし邪気が中に隠し蔵められれば、
腹部脹満の症状が発生するのである。

「上って心に走って噫」症状

→陰気が盛んで上に向かって足の陽明胃経に侵入すると、
陽明胃経の絡脈は心に属しているので、
陰気が上って心蔵を冒し、そこで曖気〔おくび〕が出るわけである。
食べると吐くという病状は、食物が多すぎて消化されないで、
胃中が充満して上に溢れて吐くのである。
いわゆる「大便が出るかおならが出るとすっきりして腹満が治ったようだ」というのは、
十二月は陰気が頂点に達して次第に下衰し、
陽気が活動し始める時期であるから、大便が出るか、
おならが出るかするとすっきりして腹満が治ったような爽快な気分になることである。


少陰腎経の病症

「腰が痛い」

→足の少陰腎経の腎の病で腰が痛むのである。
十月は天地間の万物の陽気がすべて抑制され下降し衰える時期なので、
同様に腎の陽気も衰弱し、腰痛が起こるのである。

「吐いたり、咳したり、気が上逆して喘いだりする」

→陰気が下で盛んで、陽気が上に浮き上がるからである。
浮き上がった陽気は依り所がないので、上逆して、
嘔吐や咳嗽や喘息などの症状が起こるのである。

「不安状態で居ても立ってもいられず、起立すると目がくらんで物がよく見えなくなる」

→天地間の万物の生長と陰陽の入れ替わりがすべて不安定で、
いずれが主であるか定まらない時期だからである。
草木を枯らすきびしい秋冷粛殺の気がやって来て、微かに霜が降り始めると、
万物はこの粛殺の気を受けて衰退するのであり、
人体の陽気も同じように奪われるのである。
目がかすんで、物がはっきり見えなくなるのも、このためである。

「呼吸が浅くなり怒りやすい」

→秋は陽気が下降し、陰陽の調節がうまくゆかなくなるからで、
少陽胆経の気が外に出られなくなり、
肝気が鬱結して疏泄しなくなり、統制をとってしばりつけておくことができなくなって、
よく怒るようになるのである。この病名を煎厥とよんでいる。

「いまにも人に捕まえられようとしているように恐れる」

→秋冷粛殺の気が初めて降り、
万物の陽気はまだ去らずに存在しているので、
生まれ始めた陰気と、内に入ろうとする陽気と、
陰陽相い争い、
そのために逮捕を恐れる犯罪者のような、
恐怖不安状態が起こるのである。

「食べ物のにおいを嗅ぐのを嫌がる」

→胃の消化機能が失調しているので、
食欲がなくなって、
食べ物のにおいを嗅ぐのは嫌がるのである。

「顔色が黒ずんで、泥をぬったようになる」

→秋冷粛殺の気が内蔵の精気を消耗させるので、
顔色が黒く変わるのである。

「咳をすれば血が出る」

→上部(陽に属する)の絡脈が損傷されるからであり、
別に陽気が上に充ち溢れるわけではなく、
脈管に血液が充満するので、
咳が出るようになり、鼻出血も起こるようになるのである。


厥陰肝経の病症

「下腹から睾丸にかけて腫痛する㿗疝や婦人の下腹の腫脹」

→厥陰肝経の主るのが辰の月、
つまり三月であり、
三月は陽気がまさに伸びようとし、
陰気がまさに尽きようとしている季節であって、
陽中に陰があり、陰邪は内部に集まっているので、
疝気の疼痛や、下腹の腫脹などの症候が多発するのである。

「腰背が痛んで俯仰できない」

→三月に陽気が鼓動すると、
万物は繁栄し、草木が茂るが、
しかし余寒がまだ尽きていないので、
もし陽気が寒邪の抑制を受けると、
鼓動することはできなくなり、そのために腰脊疼痛して、
うつむくこともあおむくこともできないのである。

「㿗・癃・疝で皮膚が腫脹する」

→陰邪が旺盛なために、
厥陰肝経の経脈が腫れ塞がって通じなくなり、
そのために㿗疝〔陰嚢腫大〕や癃淋〔尿閉で尿がしたたる〕や
皮膚の腫脹などの病状が起こるのである。

「甚だしければ咽が乾いて熱に中たる」

→陰陽が相い争って内熱が産生され、
そのために咽喉が乾くのである。


太陽所謂腫腰脽痛者、正月太陽寅、寅太陽也。正月陽気出在上。而陰気盛、陽未得自次也。故腫腰脽痛也。
病偏虚為跛者、正月陽気、凍解地気而出也。
所謂偏虚者、冬寒頗有不足者、故偏虚為跛也。
所謂強上引背者、陽気大上而争。故強上也。
所謂耳鳴者、陽気万物盛上而躍。故耳鳴也。
所謂甚則狂巓疾者、陽尽在上、而陰気従下、下虚上実。故狂巓疾也。
所謂浮為聾者、皆在気也。所謂入中為瘖者、陽盛已衰。故為瘖也。内奪而厥、則為瘖俳。此腎虚也、少陰不至者、厥也。

少陽所謂心脇痛者、言少陽盛也。
盛者、心之所表也。九月陽気尽而陰気盛。故心脇痛也。
所謂不可反側者、陰気蔵物也。物蔵則不動。故不可反側也。
所謂甚則躍者、九月万物尽衰、草木畢落而墮、則気去陽而之陰、気盛而陽之下長。故謂躍。

陽明所謂洒洒振寒者、陽明者午也。五月盛陽之陰也。陽盛而陰気加之。故洒洒振寒也。
所謂脛腫而股不收者、是五月盛陽之陰也。陽者、衰於五月、而一陰気上、与陽始争。故脛腫而股不收也。
所謂上喘而為水者、陰気下而復上、上則邪客於蔵府間。故為水也。
所謂胸痛少気者、水気在蔵府也。水者、陰気也。陰気在中。故胸痛少気也。
所謂甚則厥、悪人与火、聞木音則惕然而驚者、陽気与陰気相薄、水火相悪。
故惕然而驚也。所謂欲独閉戸牖而処者、陰陽相薄也。陽尽而陰盛。故欲独閉戸牖而居。
所謂病至則欲乗高而歌、棄衣而走者、陰陽復争、而外并於陽。故使之棄衣而走也。所謂客孫脈則頭痛鼻鼽腹腫者、陽明并於上。
上者則其孫絡太陰也。故頭痛鼻鼽腹腫也。

太陰所謂病脹者、太陰子也。
十一月万物気皆蔵於中。故曰病脹。所謂上走心為噫者、陰盛而上走於陽明。陽明絡属心。故曰上走心為噫也。
所謂食則嘔者、物盛満而上溢。故嘔也。
所謂得後与気則快然如衰者、十二月陰気下衰、而陽気且出。故曰得後与気則快然如衰也。

少陰所謂腰痛者、少陰者腎也。十月万物陽気皆傷、故腰痛也。
所謂嘔咳上気喘者、陰気在下、陽気在上。
諸陽気浮、無所依従。故嘔咳上気喘也。
所謂色色不能久立久坐、起則目硯硯無所見者、
万物陰陽不定未有主也、秋気始至、微霜始下、而方殺万物、陰陽内奪。故目硯硯無所見也。
所謂少気善怒者、陽気不治。陽気不治、則陽気不得出。肝気当治而未得。故善怒。善怒者、名曰煎厥。
所謂恐如人将捕之者、秋気万物未有畢去。陰気少、陽気入、陰陽相薄。故恐也。所謂悪聞食臭者、胃無気。故悪聞食臭也。
所謂面黒如地色者、秋気内奪。故変於色也。
所謂咳則有血者、陽脈傷也。陽気未盛於上而脈満、満則咳。故血見於鼻也。

厥陰所謂㿗疝、婦人少腹腫者、厥陰者辰也。
三月陽中之陰、邪在中。故曰㿗疝少腹腫也。
所謂腰脊痛不可以俛仰者、三月一振、栄華万物、一俛而不仰也。
所謂㿗癃疝膚脹者、曰陰亦盛而脈脹不通。故曰㿗癃疝也。
所謂甚則溢乾熱中者、陰陽相薄而熱。故溢乾也。


参考文献:
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『素問ハンドブック』 医道の日本社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

新川

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