こんにちは、大原です。

今回も『霊枢』に出てくるキーワード「終始」の意味を、
その文脈から考えていってみたいと思います。

前回まで、
『霊枢』九鍼十二原論篇(第1)
『霊枢』本輸篇(第2)
にそれぞれ出てくる「終始」の意味をみていきました。
(前回記事:『霊枢』の「終始」 その2

今回は
『霊枢』小鍼解篇(第3)に出てくる「終始」をみていきます。
小鍼解篇の後半部分になります。

<原文>
・・・(略)・・・
知其邪正者、知論虚邪與正邪之風也。
右主推之左持而御之者、言持鍼而出入也。
氣至而去之者、言補寫氣調而去之也。
調氣在于終始、一者持心也。
・・・(略)・・・

<読み>
その邪正を知るとは、虚邪と正邪の風とを知論するなり。
右はこれを推すことを主り、左は持してこれを御すとは、
鍼を持して出入するを言うなり。

氣至ってこれを去るとは、補寫し氣調ってこれを去るを言うなり。
氣を調すること終始一なるに在りとは、心を持する也なり。

『霊枢』を読んだことのある方でしたら
お分かりだと思いますが、
小鍼解篇(第3)の内容は
九鍼十二原論篇(第1)に書かれている文章の意味を
説明している内容になっています。

上の文章の、
九鍼十二原論篇(第1)に相当するところとその前後を
抜粋してみますと、

九鍼十二原論篇(第1)

・・・知其邪正。
右主推之、左持而禦之、氣至而去之
凡將用鍼、必先診脉、視氣之劇易、乃可以治也。

<意味>
・・・その邪正の見分けを知るのであります。
刺鍼においては右手は鍼を推すことを主り、
左手は鍼先を持って鍼が所望の方向に正しくやわらかく刺入するように按配するのです。
そして補瀉が適切にできて気が調ったなら、これを去るのであります。
・・・(以下、略)

ではここで、
小鍼解篇(第3)の内容に戻って「終始」の意味を考えてみます。

再度、小鍼解篇(第3)の
「終始」の前後の読みを抜粋


氣至ってこれを去るとは、補寫し氣調ってこれを去るを言うなり。

氣を調すること終始一なるに在りとは、心を持するなり。

九鍼十二原論篇(第1)を読んでから
この部分を読むと分かりやすいですが、
ここでは鍼を用いて治療を行う場合の解説がなされていますね。

意味としては
「鍼灸治療において、気が調ってきたらこれ(鍼)を去るのです。
鍼灸治療では気を調えることが目的であり、
その一つの目的に終始するのです。
これには一意専心の態度で臨むべきなのです。」

と、「終始」の意味を
治療の始めから終わりまで」と解釈するのが妥当のようです。

ですが、本当にそのような意味だけのでしょうか・・・?

次回はまた別の篇をみていきます。

続きます。

今年は東京から西に向かって桜が開花していっているようですね。
今年は東京から西に向かって桜が開花していっているようですね。

参考文献
『鍼灸医学体系 黄帝内経霊枢』第14巻 雄渾社
『現代語訳◉黄帝内経 霊枢』上巻 東洋学術出版社

ご興味のおありの方は、ぜひ参考文献もお読みください。

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