一般の患者さんも気付いてられる方も
いらっしゃるかもしれませんが、
最近、
国の方針で
医療機関、或いは、医療従事者からの
発信される情報を
整理しようという流れになっています。
同時にその流れを汲んでかどうかわからないですが、
いわゆる検索エンジンも
検索結果として表示させる基準とルールを変えてきています。
どのように変えてきているかというと、
権威のある機関からの情報を表に出して、
個人が書いている、
或いは、医師でも鍼師でも患者でも良いのですが、
そういった権威性のない組織からの
情報は、信用出来ない、
或いは、調べた人にとって悪影響を与えるからということで、
表示させない、或いは、検索結果の上位には表示させないと
いった内容になっています。
国の方針では、例えば、鍼灸師に対しても、
患者の体験談は載せてはダメだとかそういうルールを
決めていくようです。
(当初は、専門家からかどうかが基準になると言われていましたが、
これも実際には関係なく、
医師が個人的に書いた情報も検索結果から消える傾向にあるようです。)
国の方針やガイドラインと、上の検索エンジンのアルゴリズムの話しは
明確には別の話ですが、
一般の人にとっては見え方は似たような話なので、
まとめて語っていきます。
(ここまでは、前置きですね)

具体的にどういったことが
起こっているかと言うと、
例えば、アトピーで困った人がいたとして、
検索します。
今までは、個人の体験やブログ、
医療機関の記事、
怪しい記事など、
様々な記事がありましたので、
検索者その中から、自分の感覚で
どの内容が信用するのに値するかを
自らの責任で選択していたわけですが、
これが良くないということで、
いわゆる「権威性の高い機関」の情報を
上位表示させるというルールを作り、
個人の体験や個人の調べたもの、意見であったり、
或いは、医療従事者の個人的見解や研究などは、
意図的に上位に表示されないという内容です。
一般の人からすると、
確かに国の権威ある医療機関の情報が
自動的に選別されて得られる
(というか、それしか目に付かないんですが)
ということで、
なるほど、わかりやすいな、
とこういう発想になるかもしれません。
患者は迷わないし、
(何故ならば、教科書的な雛形しか
情報が出てこないから)
国も非常に管理しやすいわけです。
お上の認めた情報しか、目にしてはならないよと
やるわけですから。
うん、これでみんな安心、安全。
一件落着。
とこういう発想かもしれませんが、
果たしてどうでしょうか。。。

❶本当に患者は“権威性のある機関からの情報”
が欲しいのか

うちの患者でもそうですが、
権威性のある機関からの情報というのは、
家庭の医学書でものっているし、
当然、医療機関どこに行っても言われることです。
実際の患者の心の動きというのは、
そういった治療をやっても効果がない。
納得出来ない、
実際どうなのかってことで悩み出して
色々と情報を調べる人が多いです。
こういう人にとって、欲しい情報というのは
一般的な治療方針ではなく、
それを生で受けた人の体験であったり、
後悔した人の叫びであったり、
結局、欲しいのは医療知識では無く
体験や経験、或いは、
どの院が良いであったりといった情報だということです。
こういう人にとっては、
国(ちょっと語弊があるかもしれませんが、わかりやすく書いてます)
が認めた一般的な標準治療についての情報しかないと、
これは、逆に欲しいものが見つからずに彷徨うということになってしまいます。
これは一つの懸念点。

❷権威性のある機関=信用する情報
の発信源と言えるのか。

医療は製薬会社も含めて様々な利権が渦巻く世界です。
権威性のある機関が発信する情報こそが信用するに値すると
決めて良いのかという問題は実は、大変大きな問題です。
権威性とはそもそも何か。
誰が決めるのか。
更に、そもそも単純な疑問として、
医療の質というのは、権威性や立場によるものなのかな。
無名でも質の高い医療者はたくさんいます。
また、
医療というのは、科学の一部であって、
未知な事象に対する人類の挑戦であって、
解明された揺るぎない数式ではありません。
人類の智慧でもって、
大きな未知と戦っているわけでありますから、
権威性のある機関が正しい情報を発信して、
国民はすべからくそれを参照すべしという発想は、
未知のものと戦うという気概とはまさに反する姿勢であるので、
権威性をもって医療の質にあてるという発想は、
医療の発展に大きなブレーキをかけるということと、
権威性を権利に変え、そこから利権を生み出す装置にしか
ならないと私は思います。
それはもはや医療では無く、権力であります。
これらは、
なんだか今の政権そのものに似ていますよね。
誘導したければ、
不利な情報を抹殺する。
そういう傾向を感じなくもなくて、
個人的には非常に恐いです。
情報は一般的に捉えれているほど、
美しいものではないです。
情報の誘導は、まさに力となり、暴力ともなり得ます。
また、一介の鍼灸師が何を言っているのかと
言われそうです。
何故ならば、
医学にも権力構造があるからです。
立場も権威的にも鍼灸師は
医師の下です。
昔は医学といえば東洋医学でしたが、
海のそとから西洋医学が入ってきてから、
何故か日本政府は医療=西洋医学、
東洋医学は亜流であるという
システムを作り、制度として固めてしまいました。
悲しい話しです。
そして、東洋医学はそのようなものではないと
叫ぼうにも、
東洋医学を行うものたちの水準が低くなっている、
つまり戦える仲間がどんどんいなくなっているという
現状でありますので、
それに拍車をかけてより悲しい話しとなっています。
話しを戻すと、
情報や医療技術でいえば、
そのように上下として位置づけられるような
ものではありませんでした。
しかし、これからは情報も権威の上下が言われる時代が
来るのでしょうか。
医療や科学はもっと純粋で美しいものであって欲しいです。

❸医療従事者・研究者の発信するという
行為に対する尊厳について。

実は、
これが一番言いたい。
個人で知的探究心を拠り所に、
毎日毎日、
(西洋医学であろうが東洋医学であろうが)医学や医術を学び、
それが人生そのものになって
寝ても覚めてもやり続けている有志を多く知っています。
はっきり言って鍼師はこんなのばかり。
東洋医学バカばっかり。
彼らにとって、
発信するという行為自体が生きがいとなっていたりする。
彼らの知的探究心は権威や利権を乗り越え、
なによりも尊く、純粋で、美しいもの。
どうしてそれを奪うのか。
僕は単純にその一点が納得出来ない。
また、同時に
自分もそうやって生きてきました。
権威はなくとも、
一生懸命医術を身につけ、
少しずつ、
自分の仕事を受けた人に
一歩ずつ認められて、本当に一歩ずつ、一歩ずつ。
現場で患者をみるということの現場と
自分達で未知のものを学んで研究して発信するという
歩みはまさに両輪で、
権威性の一点においてそういうものの一部が
葬られるということは、
理解は出来ても納得は難しい。
あまりに浮かばれない。
一度、冷静になって分析すると、
今回の流れは、
“何を言ったのでは無く、誰が言ったのか”ということが
重要視されるということです。
本当にこれで良いのでしょうか。
私は、
“誰が言ったのかではなく、何を言ったのか”ということが
しっかり評価される世の中を望んでおり、
少しずつそんな時代が来たと錯覚しておりました。
まさか、
誰が言ったのかを
最大限重要視する時代が逆に来るとは
思いませんでした。
政治も同じ方向に向かっておりますので、
時代は周り元に戻るのでしょうか。
どんな世であろうと、
鍼師として鍼を持ち続けるしか道はありませんが、
ただただ悲しく思うばかりです。
社会における東洋医学者の立場は、
理不尽。
その言葉に尽きます。
結局のところ、
物事には両面がある。
こちらの見え方とそちらの見え方がある。
政府や政治の見え方による統治はわかる。
ただ、僕が感情的になっているのは、
こちら、
学んで、発信するも者の尊厳について。
言論の自由というものは、
憲法で保障されている。
もちろん、医療を学ぶものにも
言論の自由はあるべきだと思う。
ただ、政府は、
患者の保護を名目に、
学ぶ者たちの個人の言論の自由よりも、
情報を受ける者たちに対する、
半ば強引とも言える保護を
優先した。
では、医療者というものには言論の自由が保障されないのか。
そこに対して僕は大きな叫びがある。
いわば、これが、
こちらからの見え方だ。
Googleのスローガンは、
「Don’t Be Evil(邪悪になるな)」
この言葉は好きで、数少ない良心の一つのように
感じていましたが、
そのGoogleも少し社風が変わって来たのかも知れない。
そう思っていると、
Googleに「Do the Right Thing(正しいことをやれ)」
という規範が加わったと最近聞いた。
なるほどな、と感じた。
この正しいという価値観が非常に危険だ。
個人的には、「Don’t Be Evil(邪悪になるな)」が好きだったし、
「Don’t Be Evil(邪悪になるな)」で良かったんだと思う。

気持ちが乗ることを優先して
走り書きとなったので、
文章が荒れて美しくないと思うが、
そこは、
容赦されたし。

鍼師 林玄弌

下の写真は、
私が愛機で撮影した
植生が変わる逆境の中、
耐え忍ぶ一本松です。

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