永富独嘯庵が名医山脇東洋の門に学んでいた頃の話である。
山脇東洋は日本で最初に人体解剖を試みた名医であるが、
(『蔵志』という解剖書があります)
ある時から山脇東洋が茶室を建てたり、
茶道を嗜み侘び寂びの世界に入りびたっていたそうである。
高価な茶碗などを愛するあまり、
門下生の教育も怠りがちになる時もあった。
ある日,独嘯庵が東洋不在の間に茶室に入り、
茶碗を大きな踏み石めがけて打ちつけ、こなごなに打ち砕いてしまう。
独嘯庵はその場に座し、東洋の帰りをじっと待った。
帰宅した東洋はこの有様を眺めるが一言も発しない。
「申し訳ありません」と詫びる独嘯庵。
だが東洋は無言。
一目見れば、茶碗を壊したことは瞭然である。
東洋は茶室に入って座すること一時半、
やがて静かに襖が開き、東洋は静かな口調で言った。
「余が悪かった。許せよ。」と一言。
意外の言葉に独嘯庵の眼からハラハラと涙がこぼれた。
「申し訳ありません。近ごろ、先生が茶を重んじられ、
門下生の教育を怠りがちのご様子。
茶碗と弟子とどちらを愛されるやと試みるつもりで、先生の大切なお品を壊しました。
ただいま、先生の偉大なお心に接し、恐縮の至りです。お許し下さい。」
美しい逸話である。
名医であるとともに非常に人としての心の葛藤を
よく見て取ることが出来るが、やはり最後には医を貫くと。
そこに私は素晴らしいものを感じる。
独嘯庵は師東洋の茶碗を割り、その心を試した。
同じように昔、観修寺経敬が茶室を割り、珍奇なものをもとあそんでいる後西院天皇を戒めたという逸話があり、
かの森鴎外が次のような独嘯庵を讃える詩が残している。

嘯庵老師を試む
経敬は天子を諫めたり 
茶盞 一砕の中
千歳 双美伝わる

同じく森鴎外が永富独嘯庵に対して若き日次のように述べている。
「自分の身のまわりの人は、外見は立派だが張子の虎のようなもので談ずるに足りない。
医界にもいまだ並外れた奇才の持ち主にめぐり遭ったこともない。
私が幽明を異にしている昔の人と交わりを
行っていることを怪しみ給うな。
私の尊敬しているのは古人の永富独嘯庵一人だけであるということになろう。」

次に永富独嘯庵の言葉を紹介しよう。
診病年多為技年拙。
益知究理易応事難矣。
(病を診すること年ごとに多きに技為すこと年ごとに拙し。
益々知る、理を究ることは易く、事に応ずることは難きことを。)
  
   (参考文献:荒井保男『医の名言』中央公論新社)

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