どうも、新川です。
中世の日本における医療の中で、
金創医(金瘡医)の存在があります。
鎌倉時代から室町、戦国時代と
戦乱が続く時期において、
戦による負傷者の数は増え、また重症化することも多くあり、
その中で、
戦においての刀傷(金創・金瘡)を治療する外科の分野が発達し、
多くの流派が輩出されました。
実際の戦場では
何千、何万という兵士が戦うわけで、
全ての負傷者に手が回るわけはなく、
また医療者も手薄となり、知識がない者も治療行為を行なっていたとのこと。
その中でも
戦時下で物資が手に入りにくい状況で、
民間薬を応用して使用したり、
各流派で独自の処方を編み出したりと、
様々な工夫が行われていたようです。
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後に、これらの止血などの技術は
産科、助産の分野にも応用発展していくわけですが、
あくまで戦争による多くの犠牲があり、
その中で生み出されたものであることを
忘れないようにすべきですね。