調子にのって、
脈だけで弁ずるなとさらりと
景岳全書には書いてあるではないですか。
あくまで冷静に四診合参すべきであり、
脈の一法にとらわれるなよ、と。
難經では切脈が四診の最後に書かれているのは
そういう事であるという
一言にはチクリとやられてしまいました。
まさにここ数日の僕のこと。
頭を冷やしてまた、今の瞬間からがんばりたく。
少し修正して改めて患者を診ると
色も臭いも、すーっと自分の中に入ってくる。
多くの無形のヒントが開きました。
ああ、初学者の頃はこういう世界観があったなあ。
自由自在だったなあ。
大きく無限だった。
ああ、ここが弁ずる一つの場所だったと。
申し訳なく思った。

ありがたい経文はこちら
『景岳全書』より

診病之法,固莫妙於脈,然有病脈相符者,有脈病相左者,此中大有玄理。
故凡值疑似難明處,必須用四診之法,詳問其病由,
兼辨其聲色,但於本末先後中,正 之以理,斯得其真。
若不察此,而但謂一診可憑,信手亂治,亦豈知脈證最多真假,
見有不確,安能無誤?
且常診者,知之猶易,初診者,決之甚難,此四診之所以 不可忽也。
故《難經》以切居四診之末,甚意深矣。
陶節菴亦曰:問病以知其外,察脈以知其內,
全在活法二字,乃臨證切脈之要訣也。
此義惟汪石山言之最詳,並 附於後卷。

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