先週末から大雨にみまわれており、
25(日)には一鍼堂の近所?の千里山駅〜関大前駅近辺は
道路・線路が浸水をしていたようです。
金曜には僕の住んでいるところも落雷による停電にあい、
約1時間ほど電気・水道が使えない状態でした。
(その時の様子→http://matome.naver.jp/odai/2137725864710163001)
改めて、電気や水道が使える有り難さを実感しました。

では『難経』の記事に参ります。


【原文】
六十一難曰、経言望而知之謂之神、聞而知之謂之聖、
問而知之謂之工、切脈而知之謂之巧、何謂也。

然。
望而知之者、望見其五色以知其病。
聞而知之者、聞其五音以別其病。
問而知之者、問其所欲五味、以知其病所起所在也。
切脈而知之者、診其寸口、視其虚実、以知其病、病在何蔵府也。
経言以外知之曰聖、以内知之曰神、此之謂也。


【現代語訳】
医学経典には、
望診を通じて病を知ることを神とし、
聞診を通じて病を知ることを聖とし、
問診を通じて病を知ることを工とし、
切脈を通じて病を知ることを巧としているが、
これらはどういった意味なのか。

答え。
望んでこれを知るとは、
体表の五色を診ることによって病を知るということである。
聞いてこれを知るとは、
五音を聞くことによって病を弁別することである。
問うてこれを知るとは、
好む五味によって病の起こるとこや、部位を知ることである。
脈を切してこれを知るとは、
寸口の脈を按じその虚実を弁別し、病がどの臓腑にあるかを知ることである。
また医学経典には、
外に現れたものから病を診断できる者を聖とし、
内にある時点でその病を診断できる者を神としているが、
これは前述したものと同じ意味である。


【解説】
ここでは四診(望・聞・問・切)について論じており、
これは弁証に必要な情報収集をするための重要な診察方法である。

望診:患者の全身の状態(体型、色、神気)、局所の状態(髪、耳、鼻など)、
舌、排泄物等を観察するもの。
当難ではとりわけ五色(顔色)が主となっており、以下のように診分けられている。
青色・・・寒証、痛証、瘀血証、驚風に現れやすい。
赤色・・・熱証に現れやすい。
黄色・・・虚症(脾)、湿証に現れやすい。
白色・・・虚証、寒証、失血(脱血)証に現れやすい。
黒色・・・腎虚証、寒証、痛証、瘀血証、水飲証に現れやすい。
臨床上では、顔色だけでなくツヤの有無も診分けることが重要である。

聞診:字の如く、患者の声・呼吸・曖気等を「聞く」ことであるが、
患者から発せられる臭いを確認することも含まれている。

問診:患者に症状を問うことで有り、五臓六腑の状態を把握するために
食生活や二便、寒熱を問うたりする。
中でも問診の重点が要約されている張景岳の『十問歌』は有名で
「一に寒熱を問い、二に汗を問う。三に頭身を問い、四に便を問う。
五に飲食を問い、六に胸を問う。七に聾を問い、八に渇ともにまさに弁ずべく、
九に脈色により陰陽を察し、十に気味より神見を章かにす。」
となっている。

切診:切とは按じることであり、術者が病人の体表を触れたり、
按じたりすることで病状を知る方法である。
脈診もこれに含まれる。

上記の四診を、それぞれ神・聖・工・巧に区別しているのは、
これらを技術面における水準の高低だとされており、
本文最後にでてくる「経言以外知之曰聖、以内知之曰神」の一文も
「神」と「聖」を対比させることで、両者の技術面の高低を説明したもの
だとされている。


<参考文献>
『難経鉄鑑』 たにぐち書店
『難経解説』 東洋学術出版社
『基礎中医学』 燎原書店
『中医学の基礎』 東洋学術出版社
『中医診断学ノート』 東洋学術出版社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

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