Leica MP+elmar-M50mm2.8/TriX

名づけるということは他と共通言語をもつことで
非常に有効であるが
名を付ける事で、名づけられるものと名を知るものの行為と
発想を縛り付ける要素が同時に伴ってくる。
名前をつけて支配するように思うのは
一見かっこいいけども、
名づけることなく、日々関わり
しれっと当たり前のようにその本質と対話する姿勢こそ、
美しいと思うし、
僕ら鍼灸師も含め職人のあるべき姿だと思う。

大事なことこそ語りたくない。
語りたいがこそ、語るべきではないという感覚があり、
鍼のことはここ数年、
言語化して語りたくないという思いが強い。
大事に思うからこそ。

名にしばられるな
というのが、身体の大部分を文明のシステムにつかって
いろいろな人の表情を観察して
思える強い教訓と言えるのかも知れない。

賢者は形式を溶かすことができるし、
名づけられる前の故郷を忘れることがない。
あまり、いないですね。
そういう方は。
残念ながら。

すべてはシンプルなもので組まれているのに、
無限に広がる方便や表現に惑わされて
思考がもがれてしまっている。
まさに文明の呪いだ。
まずは精神に陰翳を取り戻せ。
向上心だけでは非常にまずい。
と、僕は思う。

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