自分は椅子が好きだ。
そんな椅子たちを待ち合いに置いている。
患者さんが腰掛けて肘を置いて
どっしりと収まる様を見ると、
なんというか、その人の本当の尊厳が
取り戻された気がして嬉しくなる。
もちろん、同時に悩んでおられる症状が
緩解されていっているという条件が
伴うのはもっともな事だけど、
その二つが両立したとき、
なんというか、
その人がその人らしく見え、
光が降りる瞬間がある。
そういう瞬間を廊下の向こうからそっと
見つめるのが大好きだ。
そして、
公共的なデザインが嫌いだ。
どこにでもある椅子に座って、
味家のない合理的なだけの構造物に
包まれると、
人が人らしく見えなくなる。
人が人らしくいられる瞬間を
取り戻すのも僕の大事な仕事の一つだと
思っている。
そもそも、公共とは何を指すかという
一点についても非常に思うところがあり、
世間一般で言うところの公共と呼ばれる代物が
正しい公共の姿だとは到底思わない。
が、それを証明するのも
言葉ではなく仕事の先に表現しようとは
考えています。
話を戻すが、
物には物の包容力がある。
そんな相棒を見つけて、
そっと仕事場に置くことで、
静かな楽しみだ。
皆さんも楽しんで頂ければ、と。
鍼師には、
鍼師としての生き方があるな
と改めて自覚させられる事の多い、
今日この頃ですが、
その鍼師らしく生きるという
一言も毎年毎年と変化していくので、
中々に厄介で、
終わりの無いものではあるのですが。
それも、また、
楽しもうと。

はやし

 

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本日も一日、 ご苦労様でした。

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