<近日開催予定のイベント>
3月18日(日) :告知!第7回 鍼灸学生の為の勉強会

3月20日(火)19時〜 または 3月22日(木)13時〜
「素問を読もう!」勉強会のお知らせ


こんにちは為沢です。

前回まで明治時代の鍼灸の歴史について御紹介しました。
明治時代の医療の西洋化に伴い、
大正〜昭和初期は鍼灸の西洋医学的な研究がされた一方、
古典に基づく研究・実践の動き興りました。
今回は明治〜昭和初期に活躍した澤田健先生を紹介します。


澤田健(1877年〜1938年)
現代鍼灸を学ぶ上では、
澤田健先生の存在は欠かせない重要な人物です。
1877年(明治10年)生まれ、
祖父の代までは剣道指南役をされていた
武家の一家だったそうで、澤田健も幼少より武術を好み
青年時代は柔術の修行をし接骨術を学び、
何か思うことがあり朝鮮に渡って釜山で開業。
柔術の急所と灸術の兪穴が符号することを発見し、
十四経絡の研究に没頭、鍼術を学び古典の研究に励みます。
研究を積み重ねること二十余年、
釜山の鍼灸治療所で名声を轟かせますが、
これに満足することはなく、
日本の文化・医療の西洋化に懸念を抱き、
「医道乱るれば国乱る」
「国の乱れを正すは医道を正すに如くはなし」
と常に口にし、
東洋医学の名誉回復と西洋医学の誤りを正すことを志し
釜山の治療所を閉めて、東京で開業されました。

東京でもその実力が認められ名声を轟かせます。
古典の研究はその後も継続し、
五臓六腑を本とする太極療法を創始。
太極療法とは、
五臓六腑の中枢を調えることにより
末梢の病気も治すことで、局所的な治療ではなく根本治療であり、
人間が本来有する自然の療病力(自然治癒力のこと)を
活動させる為の施術であることを提唱されておりました。

澤田先生は研究を文字に記すことを好まず、
「知る者は言わず、言う者は知らず」
と豪語し、自著は『三焦概論』のみですが、
弟子である代田文誌先生が残した
『鍼灸眞髄』に澤田先生の言葉や活動が記されております。

『鍼灸眞髄』を読むと澤田先生の名言が沢山あります。
普段は簡素に生活されていたと記していますが、
その内情はとても熱い先生であったと思われます。
代田先生の記述には
”澤田先生は〇〇病にこの経穴を使った”という治療日記の内容がメインで、
学生時代に購入した当初は、それを鵜呑みに覚える学生さんが多かったですが、
“澤田先生が何故その経穴を使ったのか?”
その意味を読み解こうとする姿勢がとても大事になってきます。


参考文献:
『東洋医学 基礎編』
『いちばんわかる!東洋医学のきほん帳』学研
『鍼灸眞髄』
『東洋医学概論』医道の日本社
『中国医学の歴史』
『中国鍼灸各家学説』東洋学術出版社
『カラー図解 東洋医学基本としくみ』西東社
『針灸の歴史 悠久の東洋医術』大修館書店

為沢

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