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この傷寒論のシリーズは、
当院の修行生によって毎週、水曜日の早朝に開かれる、
自主的な勉強会におけるメモ・備忘録となります。
古典の専門家によるものではなく、
一から学ぶ者の新鮮な目線を共有出来れば幸いに思います。



3/8(水)
太陽病中篇より

(77条)
発汗、若下之、而煩熱、胸中窒者、梔子豉湯主之。

発汗法の後にさらに下法によって煩熱し、
胸中が塞がったような感じがする場合には
前条と同じく梔子豉湯を用いる、
という内容である。

さて、「煩熱」とは何か。
」は患者が感じる内熱であり、
」とは術者が感じる外熱である。
胸中に塞がった感じがするということであり、
これは前条に同じく胸中の熱をとる梔子豉湯を用いる。

方剤学の本によると
梔子豉湯は胸膈鬱熱を清する作用があるとある。
胸膈の熱を取るのか、胸中の熱を取るのか、
どちらが正しいのだろうか?

おそらく梔子豉湯を用いることで、
胸中に籠もっている熱が取れるのだろうが、
それは胸膈が開くことで内熱が発散されるということであり、
胸膈にある熱も結果的に取れるということだろう。

(78条)
傷寒、五六日、大下之後、身熱不去、心中結痛者、未欲解也、梔子豉湯主之。

太陽病で日数が経過した後、陽明病に転属したと判断して
強い下法を用いたところ、
身体の熱が去らず、また、心中が痛む場合には、
まだ病が解けていないことをあらわし、
梔子豉湯を用いる。

胸中に熱が結び、痛みが出ているので、
前条よりもその邪の程度は強い印象がある。

「大いに下した」というのは強い下法をいうが、
これは必ずしも誤治を行ったという訳ではなく、
陽明病に転属して下法を行い、陽明の邪熱がとれても
身熱や心中結痛がある場合には、
胸中の熱が固く結んで残存しているということである。
強い下法によって胃気の虚が生じ、
熱邪が胸中に入り混んだということだろう。

次回、続きを行う。

(続く)


 

参加者:下野、新川、大原、盧

 

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