大道汎兮、其可左右。
萬物恃之而生而不辞。
功成不名有。
衣養萬物而不爲主。
常無欲、可名於小。
萬物歸焉而不爲主、可名爲大。
以其終不自爲大、故能成其大。


大道はあふれ出た水のように、
左にも右にも行きわたる。
あらゆる物は道を頼りに生まれるが、
道はそれらの自生に任せるだけであり、
造化の働きが成しとげられても、
自分の所有だというわけではない。
あらゆる物をはぐくみ養うが、
しかし道はそれらの主人とはならない。
いつでも無欲であるから、
小と名づけることができる。
あらゆる物は道に帰っていくが、
しかし道はそれらの主人とはならない。
大と名づけることができる。
そういうわけで聖人が大なるものとなりうるのは、
そもそもいつも自分から大とはしないから、
だから大なるものとなりうるのだ。

 

『老子 峰屋邦夫訳注』より
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無欲ゆえの柔軟性

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