【日々の出来事】

電車に乗っていると、
“中学生の男の子”に席を譲られてしまいました(-_-;)

必死に遠慮しましたが、
彼の親切に応え、座らせてもらったところ、
対面に座っていた年配の女性に微笑まれ、
余計に気恥ずかしくなってしまいました。
でも彼の気持ちがうれしかったですね。
ありがとう☆
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この七十二篇、七十三篇は
古代の素問には、ただ篇名があるのみで、
本文の内容に関しては不明であった。
後の時代になり、補い加えられたので
『遺篇』といわれている。

今回は、刺法論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。

【刺法論篇 七十二】

【原文】

黄帝問曰、升降不前、気交有変、即成暴鬱、余已知之。
何如預救生霊。可得却乎。
岐白稽首再拝対曰、昭乎哉問。臣聞夫子言。既明天元、須窮刺法。
可以折鬱扶運、補弱全真、瀉盛蠲余、令除斯苦。

帝曰、願卒聞之。
岐白曰、升之不前、即有甚凶也。
木欲升而天柱窒抑之、木欲発鬱。亦須待時。当刺足厥陰之井。
火欲升而天蓬窒抑之、火欲発鬱。亦須待時。君火相火同刺包絡之榮。
土欲升而天衝窒抑之、土欲発鬱。亦須待時。当刺足太陰之兪。
金欲升而天英窒抑之金欲発鬱。亦須侍時。当刺手太陰之経。
水欲升而天芮抑之、水欲発鬱。亦須待時。当刺足少陰之合。

帝曰、升之不前、可以預備。願聞其降、可以先防。
岐白曰、既明其升、必達其降也。升降之道、皆可先治也。
木欲降而地晶窒抑之、降而不入。抑之鬱発。散而可得位。降而鬱発、暴如天間之待時也。
降而不下、鬱可速矣。降可折其所勝也。当刺手太陰之所出、刺手陽明之所入。
火欲降而地玄窒抑之、降而不入。抑之鬱発。散而可矣。当折其所勝、可散其鬱。
当刺足少陰之所出、刺足太陽之所入。
土欲降而地蒼窒而抑之、降而不下。抑之鬱発。散而可入。当折其勝、可散其鬱。
当刺足厥陰之所出、刺足少陽之所入。金欲降而地彤窒抑之、降而不下。
抑之鬱発。散而可入。当折其勝、可散其鬱。当刺心包絡所出、刺手少陽所入也。
水欲降而地阜窒抑之、降而不下、抑之鬱発。散而可入。当折其土、可散其鬱。当刺足太陰之所出、刺足陽明之所入。

帝曰、五運之至有前後。与升降往来、有所承抑之。可得聞乎刺法。
岐白曰、当取其化源也。是故太過取之、不及資之。大過取之、次抑其鬱、取其運之化源、令折鬱気。
不及扶資、以扶運気、以避虚邪也。資取之法、令出密語。

黄帝問曰、升降之刺、以知其要。願聞司天未得遷正、使司化失其常政、即万化之或其皆妄、然与民為病。
可得先除。欲済群生。願聞其説。
岐白恵首再拜曰、悉乎哉問。言其至理、聖念慈憫、欲済群生。臣之尽陳斯道、可申洞微。
太陽復布、即厥陰不遷正。不遷正、気塞乎上。当瀉足厥陰之所流。
厥陰復布、少陰不遷正。不遷正、即気塞於上。当刺心包絡脈之所流。
少陰復布、太陰不遷正。不遷正、則気留於上。当刺足太陰之所流。
太陰復布、少陽不遷正。不遷正、則気塞未痛。当刺手少陽之所流。
少陽復布、則陽明不遷正。不遷正、則気未痛上。当刺手太陰之所流。
陽明復布、太陽不遷正。不遷正、則復塞其気。当刺足少陰之所流。

帝曰、遷正不前、已通其要。願聞不退。欲折其余、无令過失。可得明乎。
岐白曰、気過有余、復作布正。
是名退位也。使地気不得後化。新司天未可遷正。故復布化令如故也。
巳亥之歳、天数有余。故厥陰不退位也。
風行於上、木化布天。当刺足厥陰之所入。子午之歳、天数有余。
故少陰不退位也。熱行於上、火余化布天。当刺手厥陰之所入。
丑未之歳、天数有余。故太陰不退位也。湿行於上、雨化布天。当刺足太陰之所入。
寅申之歳、天数有余。故少陽不退位也。熱行於上、火化布天。当刺手少陽之所入。
卯酉之歳、天数有余。故陽明不退位也。金行於上、燥化布天。当刺手太陰之所入。
辰戌之歳、天数有余。故太陽不退位也。寒行於上、凛水化布天。当刺足少陰之所入。
故天地気逆、化成民病。以法刺之、預可平疴。

黄帝問曰、剛柔二千、失守其位、使天運之気皆虚乎。与民為病。可得平乎。
岐白曰、深乎哉問。明其奥旨、天地迭移、三年化疫。
是請根之可見。必有逃門。仮令甲子剛柔失守。
剛未正、柔孤而有虧。時序不令、即音律非従。如此三年、変大疫也。
詳其微甚、察其浅深、欲至而可刺、刺之当先補腎兪。
次三日、可刺足太陰之所注。又有下位已卯不至、而甲子孤立者、次三年作土癘。
其法補瀉、一如甲子同法也。其刺已畢、又不須夜行及遠行。令七日潔、清静斎戒、所有自来。
腎有久病者、可以寅時面向南、浄神不乱思、閉気不息七遍、以引頸嚥気順之、如嚥其硬物。
如此七遍後、餌舌下津令無数。仮令丙寅剛柔失守。
上剛干失守、下柔不可独主之。中水運非太過、不可執法而定之。
布天有余、而失守上正、天地不合。
即律呂音異。如此即天運失序、後三年変疫。
詳其微甚、差有大小。徐至即後三年至、甚即首三年至。
当先補心兪。次五日、可刺腎之所入。
亦有下位地甲子辛巳柔不付剛、亦名失守。
即地運皆虚、後三年変水癘。即刺法皆如此矣。
其刺如畢、慎其大喜欲情于中。如不忌、即其気復散也。
令静七日、心欲実、令少思。
仮令庚辰、剛柔失守。上位失守、下位無合。
乙庚金運、故非相招。布天未退、中運勝来、上下相錯、謂之失守。
姑洗林鐘、商音不応也。
如此即天運化易、三年変大疫。
謂其天数、差有微甚。微即微。三年至。其即甚。三年至。当先補肝兪。
次三日、可刺肺之所行。刺畢、可静神七日、慎勿大怒。
怒必真気却散之。又或在下地甲子乙未失守者、即乙柔干、即上庚独治。
亦名失守者、即伝運孤主之。三年変癘。名曰金癘。其至待時也。
詳其地数之等差、亦推其微甚、可知遅速耳。諸位乙庚失守、刺方同。
肝欲平、即勿怒。仮令壬午剛柔失守。
上壬未遷正、下丁独然、即雖陽年、虧及不同。
上下失守、相招其有期。差之微甚、各有其数也。
律呂二角、失而不和、同音有日。
微甚如見、三年大疫。当刺脾之兪。
次三日、可刺肝之所出也。刺畢、静神七日、勿大酔歌楽。
其気復散。又勿飽食。勿食生物。欲令脾実、気無滞、飽無久坐、食無太酸、無食一切生物。宜甘宜淡。
又或地下甲子丁酉、失守其位、未得中司、即気不当位、下不与壬奉合者、亦名失守。
非名合徳。故柔不付剛、即地運不合。三年変癘。其刺方亦如木疫之法。
仮令戌申剛柔失守。戌癸雖火運、陽年不太過也。上失其剛、柔地独主。其気不正。
故有邪干。迭移其位、差有浅深。欲至将合、音律先同。
如此天運失時、三年之中、火疫至矣。当刺肺之兪。刺畢、静神七日、勿大悲傷也。
非傷即肺動、而真気復散也。人欲実肺者、要在息気也。
又或地下甲子癸亥失守者、即柔失守位也。
即上失其剛也。即亦名戌癸不相合徳者也。
即運与地虚、後三年変癘。即名火癘。是故立地五年、以明失守、以窮法刺。于此疫之与癘、即是上下剛柔之名也。
窮帰一体也。即刺疫法、只有五法。是総其諸位失守。故只帰五行而統之也。

黄帝曰、余聞五疫之至、皆相染易、無問大小、病状相似。
不施救療、如何可得不相移易者。
岐白曰、不相染者、正気存内、邪不可干。
避其毒気、天牝従来、復得其往。気出於脳、即不邪干。
気出於脳、即室先想心如日、欲将入於疫室、先想青気自肝而出、左行於東、化作林木、
次想白気自肺而出、右行於西、化作戈甲。
次想赤気自心而出、南行於上、化作焰明。
次想黒気自腎而出、北行於下、化作水。
次想黄気自脾而出、存於中央、化作土。
五気護身之畢、以想頭上如北斗之煌煌、然後可入於疫室。
又一法、於春分之日、日未出而吐之。
又一法、於雨水日後、三浴以薬泄汗。
又一法、小金丹方。辰砂二両、水磨雄黄一両、葉子雌黄一両、紫金半両、同入合中、外固了、地一尺築地実、不用炉、不須薬制。
用火二十片煆之也。七日終、侯冷七日取。次日出合子、埋薬地中、七日取出、順日研之、三日煉白沙密為丸、如梧桐子大。
毎日望東吸日華気一口、冰水下一丸、和気嚥之。服十粒、無疫干也。

黄帝問曰、人虚即神游失守位、使鬼神外干、是致夭亡。何以全真。願聞刺法。
岐白稽頸再拜曰、昭乎哉問。謂神移失守、雖在其体、然不致死。
或有邪干。故令夭寿。只如厥陰失守、天以虚、人気肝虚、感天重虚、即魂游於上、邪干、厥大気。
身温猶可刺之。刺其足少陽之所過、復刺肝之兪。人病心虚、又遇君相二火司天失守、感而三虚、遇火不及、黒尸鬼犯之、令人暴亡。
可刺手少陽之所過、復刺心兪。人脾病、又遇太陰司天失守、感而三虚、又遇土不及、青尸鬼邪、犯之於人、令人暴亡。
可刺足陽明之所過、復刺脾之兪。人肺病、遇陽明司天失守、感而三虚、又遇金不及、有赤尸鬼犯人、令人暴亡。
可刺手陽明之所過、復刺肺兪。人腎病、又遇水運不及之年、有黄尸鬼、干犯人正気、吸人神魂、致暴亡。
可刺足太陽之所過、復刺腎兪。

黄帝問曰、十二歳之相使、神失位、使神彩之不円、恐邪干犯。
治之可刺。願聞其要。
岐白稽頸再拜曰、悉乎哉問。至理道真宗。此非聖帝、焉究斯源。
是謂気神合道、契符上天。心者、君主之官、神明出焉。可刺手少陰之源。
肺者、相傅之官、治節出焉。可刺手太陰之源。
肝者、将軍之官、謀慮出焉。可刺足厥陰之源。
胆者、中正之官、決断出焉。可刺足少陽之源。膻中者、臣使之官、喜楽出焉、可刺心包絡所流。
脾為諫議之官。知周出焉。可刺脾之源。胃為倉廩之官、五味出焉。可刺胃之源。
大腸者、伝道之官、変化出焉。可刺大腸之源。
小腸者、受盛之官、化物出焉。可刺小腸之源。
腎者、作強之官。伎巧出焉。刺其腎之源。
三焦者、決瀆之官、水道出焉。刺三焦之源。
膀胱者、州都之官、精液蔵焉。気化則能出矣。刺膀胱之源。凡此十二官者、不得相失也。
是故刺法有全神養真之旨。亦法有修真之道、非治疾也。
故要修養和神也。道貴常存。補神固根、精気不散、神守不分。
然即神守而雖不去、亦能全真。
人神不守、非達至真。至真之要、在乎天玄。神守天息、復入本元。命曰帰宗。


本篇では、
運気の異常、疫病の流行などに対しての予防法、治療法が提示されている。
特に予防法の中でも刺鍼法を主としているので、「刺法論篇」と呼ぶ。


☆疫厲の発生には、五運の昇降往来の異常が関与している。

疫厲とは
戻気〔レイキ〕、疫気、疫厲の気、乖戻〔カイレイ〕の気、異気、雑気 ともいう。
→人や家畜から生じる急性伝染病
強烈な伝染性をもつ病邪を指す。
これにはすべての温疫病と一部の外科系感染症を引き起こす病因が含まれている。
古人は長期にわたる旱魃〔カンバツ〕、酷暑、水害などの自然界の気候異常が、
このような強烈な発病邪気を発生させ、
人がこれを感受すると疫病の流行を引き起こすと考えていた。

岐伯がいう。
「司天と在泉の気の変換は、
剛柔失守の状況をもたらし、
三年ほどで時疫を流行させます。
この奥旨が分かれば、時疫の根源を探ることができます。〜」

例)
甲子司天の年に剛柔が守りを失う
→土疫がやってくると、水蔵が傷われる恐れがあり、
補法を用いて膀胱経の腎兪を刺鍼し、その根本を固める。
その三日後、更に足太陰経が注ぐ太白穴を刺鍼し、土気の鬱を除く。

下位の己卯が正に遷りえず、司天の甲子が孤立する
→刺鍼法は上記、甲子司天が失守した時と同じ。

※甲子と己卯の関係
甲と己はいずれも土運に属し、
子と午とはいずれも少陰司天に属する。
およそ少陰が司天の時には、
必ず陽明が在泉である。
陽明は卯酉に属し、土運と相い配されるので、
己卯は甲子年の在泉の化となる


岐伯がいう。
「伝染せずにすむ人がいますが、
そのわけは正気が内に充実し、外来の邪気が侵犯できないからです。
こうした疫毒を鼻孔から入れ、鼻孔から去らせればよく、
そのためには正気を脳から出しさえすれば、
外邪の侵犯を受けずにすみます。
いわゆる正気を脳から出すとは、
病家に到る前に、
心をはげまして恐れの念を払い、
太陽の光のような陽気に満ち溢れていう自己を想像します。
病室に入ろうとする時には、
まず肝蔵から一種の青い気が出て、
東に向かって左行し、林の木の気のようになり、
盛んであるのを想像して、肝気を壮んにします。
次に一種の白い気が肺蔵から出て、西に向かって右行し、
武器のように厳しい様を想像して肺気を充足させます。
次に一種の赤い気が心蔵から出て、
南に向かって上行し、
火焰のようになるのを想像して心気を壮んにし、充たします。
更に一種の黒い気が腎蔵から出て、
北に向けて下行し、水気のように清冽な様を想像して、
腎気を充実させます。
また次に一種の黄いろい気が脾蔵から出て、体内に止まり、
よく万物を生じ化する土の様になるのを想像します。
こうして五種の気の色が出て、身体を護ったら、
その後で再に、頭上の北斗七星のような煌煌とした光があるのを想像し、
陽気が充満してから、病人の部屋に入ります。
こうすれば伝染することはないのです。〜」
『黄帝内経素問 下巻—現代語訳』より


宗に帰る

帰宗:その本来の元気に返ることをいう。

「〜真気を修め養い、精神を調和するには、
神を補い根本を固めるような考え方を常に存することを貴び、
精神を消耗、分離させぬようにします。
と同時に、ただ神を守って離れぬようにして、
初めて真気を保全できるのです。
人の神・気・精の三者が守りを失うようでは、
最も大切な養身の道を語るわけにはいけません。
それゆえ最も重要な鍵は、※1天一の玄精に在ります。
神を安んじ精を守れば、天息は常存し、
本来に戻ることができます。
これを名づけて帰宗〔根元に帰る〕と呼ぶのです。
『黄帝内経素問 下巻—現代語訳』より

※1天一の玄精
→人身の精のこと。
張景岳 の説
「玄は水の色。
〔天玄は〕天一の意味である。
至真の要は、あくまで精に在るからである。」


参考文献:
『黄帝内経素問 上巻—現代語訳』
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『黄帝内経素問 下巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『鍼灸医学事典』 医道の日本社
『内経気象学入門』 緑書房

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

新川

6 コメント

  1. うちも中学生の子供がいるので、その子の気持ちを汲んでくださった先生に感謝です。
    職業柄もあると思いますが先生の落ち着いた雰囲気のせいかも?
    私よりひとまわり上の年齢の知り合いが、バスで大学生くらいの男の子に席を譲られて「私ってそんなに
    年とって見える?」って不満だったようですが、若い男の子は特に、若くないオトナの年齢が判断しにくいんじゃないか(最近は若く見える人も多いので)と思います。核家族が多いし「自分の親より年上に見えた」からかもしれません。
    私も大きな紙袋3つ4つ下げて電車に乗った時、20代くらいのお兄さんがにこにこしながら席譲ってくれたことがあります。
    相当しんどそうに見えたのでしょうか?(;^。^A )

    • 席を譲ることって難しいです

      自分の経験上でも、
      良かれと思って裏目に出ることが多くありました。
      私の場合も一日動き回った後での出来事でしたので、
      彼の目からは「しんどそう」に見えたかもしれませんね(^_^;)

  2. 確かに!
    私もこの年になって、ようやくすんなりと、席を譲る事が出来るようになりました。それまでは、譲りたくてもなんか気恥ずかしい気持ちがあったり、先生がおっしゃるように裏目に出たり……。

    そう言えば、少し前、電車の中で、私の横に立っていた若い女性に、「座ってください」と声を掛けた若い男の子がいました。最初、譲った理由がよくわからなかったのですが、ふと彼女のかばんにマタニティーマークが。
    それに気付いた若い男の子、素晴らしい!なんか、心がほっこりしました。

    私も妊娠しているとき、何度か席を譲っていただいたことがあり、そのたびに世の中あったかい人が多いなあ、と感謝しました(*^^*)

    • なかなか勇気が要りますね。
      でも、自分の意志を行動で示せることが大事かなと。
      かっこいい大人でありたいものです。

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