どうも、新川です

最近、知人から美味しいほうじ茶を頂き、
急須に入れてお茶を飲むことをしております。
最初は全くの我流で入れておりましたが、
「この温度でいいのか?」
「茶葉の分量は?」
「抽出の時間はこれでいいのか?!」
などなど疑問が次々と湧いてきてしまいました。
これではお茶どころではありません(笑)

いろいろ調べた結果、
ほうじ茶は一般的な茶葉(緑茶など)と違い、
熱めのお湯を使い、20〜30秒ほどの短時間で抽出し、
香りを楽しむのがよいそうです。

そして基本中の基本(むしろこれが最重要!)、
最後の一滴まで出し切る ことが大事!とのこと。

「やっぱり香りや後味が違うな〜」と、
つぶやきながら楽しんでおります。

さて今回は、
挙痛論篇についてです。


今回は、挙痛論篇について綴って参ります。
本来ならここにまとめてある以上の内容がありますが、
なるべく分かりやすくするため、
一部を抜粋して表現させて頂いております。


【挙痛論篇 第三十九】

本篇は大きく二つの内容に分けられ、
一つは臨床における望・問・切診の運用について論じており、
もう一つは、九気の病として外感と情志の気の内傷を論じている。

【望・問・切診の運用】

岐伯がいう。
「寒気が脈の外を冒せば、
経脈は寒を受け、寒を受ければ経脈は収縮し、
経脈が収縮すれば屈曲してこわばり、
このために外にある小さな脈絡を引きつらせます。
そこで経脈が急に痛むようになるのです。
ただし、熱気を得れば痛みはすぐに止まります。〜」

黄帝がいう。
「そのような病状は問診の中で得られるものであるが、
それでは望診によってわかるのはどのようであるのか。」

岐伯がいう。
「五蔵六府は、それぞれにその対応する部位が顔面にあります。
ですから顔面の五色を観察して病状を判断します。
もし黄色かったり赤ければ熱、白ければ寒、
青かったり黒ければ痛みで、このようなものが望診による判断です。」
黄帝がいう。
「触れてわかるのはどのようであるのか。」
岐伯がいう。
「その病を主る脈象を診ます。
たとえば、脈が堅のときは外邪が集まっていることを示し、
血の滞りがあれば絡脈は必ず旺盛であり、
陥んでいるのは血気不足の陰証を示しています。
これらはいずれも手で触れて分かることです。
黄帝がいう。
「よくわかった。」

【九気の病として外感と情志の気の内傷】

「私は多くの疾病が気の異常によって発生することを知っている。
たとえば、激しく怒れば気は上逆し、
大いに喜べば気は弛緩し、悲しめば気は消沈し、恐れれば気は下降する。
また寒にあえば気は収縮し、熱によって気は外泄する。
驚けば気は乱れるし、過労によって気は消耗し、思慮すれば気は鬱結する。
このように九つの気〔の変化〕による病理機序は異なっているが、
これらはどのような病気を生ずるのか。」

岐伯がいう。
「・激しく怒れば気は上逆し、甚だしければ血を吐いたり、下痢したりします。
そこで『怒れば気は上逆する』というのです。

・喜べば気は和らぎ精神も安定し、営気と衛気は疎通するようになります。
そこで『喜べば気は緩む』というのです。

・ひどく悲しめば心系はひきつり、
肺は膨らんで〔上にもちあがり〕、
このため上焦は疎通しなくなり、営気と衛気がゆきとどかなくなって、
熱気は胸中に鬱してしまいます。
そこで、『悲しめば気が消沈する』というのです。

・恐れたときには精気が退き、精気が退けば上焦は閉塞し、
上焦が閉塞すれば気は下焦に帰り、
気が下焦に帰れば下焦が脹満します。
そこで、『恐れると気が下降する』というのです。

・寒気は腠理を塞いでしまい、このため営衛の気は大いに流れ、汗もたくさん出ます。
これを『熱を受けると気が泄れる』というのです。

・驚いたときには心はやみくもに動悸して頼るところなく、
精神も不安定となって帰る所がなく、思慮も一定しなくなります。
そこで、『驚くと気が乱れる』というのです。

・過労すれば呼吸は苦しくなり汗が出て、内で喘ぎ、
外では発汗となって内外の気はみな度を越えて出てしまいます。
そこで『労働すると気が消耗する』というのです。

・思慮しすぎれば心はいつもなにかをその内に存し、
精神も一つのところに捉われて、その結果、正気は停滞して循行できなくなります。
そこで『思慮すると気が結ばれる』というのです。」


黄帝問曰、 余聞、善言天者、必有験於人。
善言古者、必有合於今、善言人者、必有厭於己。 如此則道不惑而要数極。所謂明也。 今余問於夫子、令言而可知、視而可見、捫而可得。
令験於己而発蒙解惑。可得而聞乎。
岐伯再拜稽首対曰、何道之問也。
帝曰、願聞人之五蔵卒痛、何気使然。
岐伯対曰、経脈流行不止、環周不休。寒気入経而稽遅、泣而不行。
客於脈外則血少、客於脈中則気不通。故卒然而痛。

帝曰。 其痛或卒然而止者。或痛甚不休者。或痛甚不可按者。或按之而痛止者。或按之無益者。
或喘動応手者。或心与背相引而痛者。或脇肋与少腹相引而痛者。或腹痛引陰股者。或痛宿昔而成積者。或卒然痛死不知人、有少間復生者。
或痛而嘔者。或腹痛而後泄者。或痛而閉不通者。凡此諸痛、各不同形。別之奈何。

岐伯曰、寒気客於脈外則脈寒、脈寒則縮蜷、縮蜷則脈絀急、絀急則外引小絡。故卒然而痛。
得炅則痛立止。 因重中於寒、則痛久矣。寒気客於経脈之中、与炅気相薄則脈満、満則痛而不可按也。
寒気稽留、炅気従上、則脈充大而血気乱。故痛甚不可按也。 寒気客於腸胃之間、膜原之下、血不得散、小絡急引。故痛。
按之則血気散。故按之痛止。 寒気客於侠脊之脈、則深按之不能及。故按之無益也。寒気客於衝脈。
衝脈起於関元、随腹直上。寒気客則脈不通。脈不通則気因之。故喘動応手矣。
寒気客於背兪之脈、則脈泣、脈泣則血虚、血虚則痛。其兪注於心。故相引而痛。按之則熱気至、熱気至則痛止矣。
寒気客於厥陰之脈。厥陰之脈者、絡陰器、繋於肝。寒気客於脈中、則血泣脈急。故脇肋与少腹相引痛矣。
厥気客於陰股、寒気上及少腹、血泣在下相引。故腹痛引陰股。寒気客於小腸膜原之間、絡血之中、血泣不得注於大経、血気稽留不得行。
故宿昔而成積矣。寒気客於五蔵、厥逆上泄、陰気竭、陽気未入。故卒然痛死不知人。気復反、則生矣。
寒気客於腸胃、厥逆上出。故痛而嘔也。寒気客於小腸、小腸不得成聚。故後泄腹痛矣。熱気留於小腸、腸中痛、癉熱焦渇、則堅乾不得出。故痛而閉不通矣。

帝曰、所謂言而可知者也。視而可見奈何。
岐伯曰、五蔵六府、固尽有部。視其五色、黄赤為熱、白為寒、青黒為痛。此所謂視而可見者也。
帝曰、捫而可得奈何。
岐伯曰、視其主病之脈、堅而血、及陥下者、皆可捫而得也。 帝曰、善。

余知百病生於気也。 怒則気上、喜則気緩。悲則気消、恐則気下。寒則気收、炅則気泄。驚則気乱、労則気耗、思則気結。九気不同。何病之生。
岐伯曰、 怒則気逆、甚則嘔血及飱泄。故気上矣。 喜則気和志達、栄衛通利。故気緩矣。
悲則心系急、肺布葉挙、而上焦不通、栄衛不散、熱気在中。故気消矣。
恐則精却、却則上焦閉、閉則気還、還則下焦脹。故気不行矣。
寒則腠理閉、気不行。故気収矣。炅則腠理開、営衛通、汗大泄。故気泄。
驚則心無所倚、神無所帰、慮無所定。故気乱矣。
労則喘息汗出、外内皆越。故気耗矣。思則心有所存、神有所帰、正気留而不行。故気結矣。


参考文献:
『黄帝内経素問 中巻—現代語訳』
『中医基本用語辞典』 東洋学術出版
『臓腑経絡学』 アルテミシア
『素問ハンドブック』 医道の日本社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

新川

2 コメント

  1. こんにちは
    いつもお世話になっております。

    新川先生が入れられたほうじ茶、とっても美味しそうですね。

    私は緑茶が好きでよく入れるのですが、同じ茶葉を使っても、
    抽出時間、お湯の温度 茶葉の量のちょっとした違いで、
    全然、違う味になってしまうから不思議です。

    自分へのご褒美のつもりで買った茶葉でも、
    入れ方が悪いせいか、いまひとつだったり・・・。
    ちょっと残念な気分になってしまいます。

    値段にこだわらず、自分が美味しいと感じるお茶をほっこりしながら
    いただくのが一番いいのかもしれないですね。
    (和菓子があればもっと幸せな気分にひたれます)

    またまたコメントの送信に苦戦しています(涙)
    うまく送信できたら良いのですが。(#^.^#)

    • こんにちは。

      お茶ひとつとっても、
      その日によってそれぞれに個性がありますね。
      私としては、
      その個性を楽しむように飲んでいるところがありまして、
      わざと毎回微妙な変化をつけながら、その差を味わっております。

      先日も、所用で百貨店に行くと、
      お茶っ葉の良い香りに誘われて
      自然と足が向いてしまいました。

      コメント、きちんと送信されていますよ。
      いつも貴重なご意見、ありがとうございます!

      新川

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