こんにちは、為沢です。
今回も『格致餘論』の序章の続きを紹介して参ります。


格致餘論:序

又知醫之為書、非『素問』無以立論、非《本草》無以主方。
有方無論無以識病、有論無方何以模仿。
夫假說問答、仲景之書也、而詳於外感。
明著性味、東垣之書也、而詳於內傷。醫之為書、至是始備、
醫之為道、至是始明、由是不能不致疑於『局方』也。
『局方』流行、自宋迄今、罔間南北、翕然而成俗、豈無其故哉。
徐而思之、濕熱相火、自王太僕注文、
已成湮沒、至張李諸老、始有發明。
人之一身、陰不足而陽有餘、雖諄諄然見於『素問』、
而諸老猶未表章、是宜『局方』之盛行也。
震昌不揣蕪陋、陳於編冊、並述『金匱』之治法、
以証『局方』之未備、間以己意附之於後、
古人以醫為吾儒格物致知一事、故目其篇曰《格致餘論》。
未知其果是否耶。後之君子、幸改而正諸。

続く


『格致餘論注釈』訳を使用:
また医者が本を書くときは『素問』以外によって論を立てるものではなく、
『神農本草経』以外によって処方を立てるものではないことを知った。
処方があって論がないものは、病を認識することなく、
論があって処方がないものは、どうしてそれを模倣することができようか。
仮に問答を設けて説くのは、張機の書であり、外感に詳しい。
(薬の)性味を明らかにするのは、李杲(李東垣)の書であり、内傷に詳しい。
医の書たるは、ここ(張機と李杲の書物)に至って初めて備わり、
医の道たるは、ここに至って初めて明らかになった。
ゆえに『局方』を疑わないわけにいかないのである。
『局方』の流行は、宋より今に至るまで、南北の隔たりなく
一致して習慣になってしまったのであるから、その理由がないことがあろうか。
落ち着いて考えてみるに、湿熱や相火は、
王冰の『素問』の注からすでに消え去ってしまい、
張従正(張子和、張戴人)、李杲(李東垣)などの諸先生にいたって初めて明らかになった。
人の身体は、陰が不足し陽が余るというのは、『素問』に述べられているのだが、
諸先生は明らかにしなかったのである。
だから『局方』が盛んになったのも仕方ないだろう。
私、震亭は自分のおろそかさも省みず、書をあらわし、
あわせて『金匱要略』の治療方法についても述べ、
『局方』の不備を証明し、また所々で私の解釈も後に附しておいた。
古人は医学を我々儒者の格物致知の一事となした。
故に、書名を『格致餘論』と名付けることにした。
その結果がどうであるか、私には未だにわからない。
後の君子がこれを改め正してくれたなら、幸いである。

寺

参考文献:
『格致餘論注釈』 医聖社

※画像や文献に関して、ご興味がおありの方は
是非参考文献を読んでみて下さい。

為沢

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