どうも、新川です。

あべのハルカスより 北を向く
あべのハルカスより 北を向く

このような景色を見ながら、
「物事もこのぐらい俯瞰して見ると、
違った景色になるなぁ」
「江戸時代の人がこの景色みたらびっくりするやろな」
「(生まれ故郷の)田舎と違って密集具合がすごいな」
などしょうもないことを考えておりました。

ちなみに、画面中央やや右の緑に囲まれたところは四天王寺で、
画面の奥に向かって走る道路は谷町筋ですね。

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水曜の勉強会で傷寒論を行っておりますが、
「傷寒論を学ぶなら温病も学ぶべし」という声が
どこからともなく聞こえてきたので、
温病の古典に触れていきたいと思います。

温病の解説書は下に記しておりますように、
明代から清代にかけて多く世に出ておりますが、
今回は呉瑭が記した
『温病条辨』について綴って参ります。


温病条辯

著者:
呉瑭(1758年〜1836年)
江蘇淮陰の生まれ、字は鞠通
主な著書:「温病条辯」「医医病書」「呉鞠通医案」

19歳の時に父を病気で亡くし、
そのことがきっかけで医を志す。
その後、北京にて明代の医家・呉又可の「温疫論」と出会う。

呉瑭が生きた明〜清の時代には、
温疫病が数度にわたり大流行した。

呉又可、葉桂の
それまでの医家の温病に対する文献を元に編纂したものが、
『温病条辯』であった。

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そもそも、「温病」はどのように定義されていったのか・・を簡単にまとめてみました。
中国の明代~清代にかけての時代に、
現在でいう、腸チフス、コレラ、赤痢、マラリア、
天然痘、テング熱、麻疹、ジフテリア、ペストなどの急性伝染病が流行しました。
それらの症状に対して、明の時に呉有性(ゴユウセイ:呉又可)が『温疫論』をまとめ、
その流れから喩嘉言(ユカゲン)が『尚論篇』を、
戴天章(タイテンショウ)が『広溫疫論』を記し、『温疫論』に対して補充を試みました。

・・人物名と著書の列記が続きますね汗

その後、清代に入り、
温病学説が発展を遂げる中で、
新たな学派【温熱学】の一派が誕生します。
葉桂(ショウケイ:葉天士)、薛雪(セツセツ)、王士雄、
そして呉瑭(ゴトウ:呉鞠通)。

葉桂は、『温熱論』を示し、
温病が衛・気・営・血を侵す際の四つの段階での弁証論治の基本を提示し、
温病学説の理論体系を形成するうえで重要な基礎をなしました。
薛雪は『湿熱条弁』、呉瑭は『温病条弁』を記し、
葉桂の学説を発展させました。

その中で、
王士雄は『温熱経緯』を記し、
その内容として、
『内経』と『傷寒論』から温病関係の記載を抜き出して縦糸(経)とし、
これに葉桂、薛雪、余霖(ヨリン)、陳平白(チンヘイハク)らの温病関係の論述と自己の見解を横糸(緯)とし、
これらは温病学説の集大成として評されています。

続く


参考文献:
『中国医学の歴史』 東洋学術出版社

新川

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