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こんにちは、大原です。
梅雨の時期に咲く花といえば
紫陽花(アジサイ)が有名ですが、
ほかにもこの時期に、
綺麗に咲いている花をふと見つけました。

アガパンサス
アガパンサス(6月20日夕方 大阪のとある道端にて)
角度を変えて

写真をとって
後でネットで調べてみましたが
アガパンサスというお花だそうです。
涼しめの青い色彩が
夕焼けの光とマッチして綺麗でした。

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さて、東洋医学を語るときに
よく出てくる重要キーワード
未病みびょうについてですが、
東洋医学のバイブルである『黄帝内経 素問』では
どのように書かれているのでしょうか?
書かれているあたりの記述を
みてみましょう。

『黄帝内経 素問』
四気調神大論篇(第2)の一番最後より

<原文と読み>
従陰陽則生、逆之則死。
(陰陽に従えばすなわち生き、これに逆らえばすなわち死す。)

従之則治、逆之則乱。
(これに従えばすなわち治まり、これに逆らえばすなわち乱れる。)

反順為逆、是謂内格。
(順に反するを逆となし、これを内格という。)

聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。
已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)

夫病已成而後薬之、乱已成而後治之、
(それ病すでに成りて後にこれを薬し、乱すでに成りてこれを治するは、)

譬猶渇而穿井、鬪而鋳錐、不亦晩乎。
(たとえれば、なお渇して井をうがち、闘して錐を鋳るがごとし、またおそからずや。)

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ここで、真ん中の4行目に「未病」が出てきましたが、
そもそも「未病みびょう」とは
いまだ、病ならず」と読んで、
今は病気が発症してないけれども、いずれ発症する状態
という意味になります。

また、「未病」と対比して
已病いびょう
というキーワードが出てきてますが、これは
すでに、病(たり)」と読んで、
「もうすでに病気が発症している状態」をいいます。

上の原文で真ん中ぐらいに、
未病」と「已病」の両方が出てきている
文章がありました。
大事なので、もう一度そこだけ抜粋しますと

聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。
已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)

ここで、主語が「聖人」とありますが、
聖人」とは前回の記事でも出てきた
東洋医学のヒーローのような人のことで、
養生をしっかりと守る、
そして他人にも説いて病気を予防させるような
健康のスペシャリストのようなイメージです。
(参考:前回のブログ 夏の過ごし方について2 )

この「聖人」が、
已病を治さずして、未病を治す。」とあり、
直訳すると
もうすでに発症した病は治さず、そのうち発症するであろう病を治すのである
となりますが、
もう少し意味がつながるように訳すと
聖人は、病が発症してから治療のことを考えるのではなくて、
まだ病にならないうちから、
その病の原因を取り除いて予防するのである。

といった感じになります。

つまり、病の発症を未然に防いるため、
現代でいう一般的な病気というものは無く、
(すでに現れている病というものは無く、)
そのような病は治さない、治す必要がない、
ということですね。

未病」という概念は、
文字にすると簡単ですが、
具体的に考えてみると
奥が深くて大変重要な考えだと思います。

ところで、自分が「未病」の状態かどうか、
ご自身の体調や生活習慣を振り返って
「ああ、ちょっと無理しているなあ」
「無理してるけどテンションがやたら高い」
というときは、
もしかすると病が現れていないだけの未病の状態で、
なにかのきっかけで調子を崩してしまうかも知れません。

聖人
のような人が実際にいるのかどうか分かりませんが、
「今日はしっかり休もう」
「運動不足なので歩こう」
「今日は遅いので、もう深酒はやめておこう」などと、
自分自身で未病を取り除くような考え方も
大事かも知れません。

続きます。


参考文献
『現代語訳 黄帝内経素問 上巻』 東洋学術出版社
CASIO Ex-word XD-N7300

興味があおりでしたら、ぜひ参考文献もご一読ください。

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