どうも、新川です。
難経の文献を探っていく中で、
「敦煌文献」の存在につきあたり、
少し脱線となりますが、
自分の備忘録として簡単にではありますがこちらに記載しておきます。
【敦煌文献】
1900年に
中華人民共和国甘粛省北西部の都市・敦煌の郊外、
世界遺産でもある大石窟寺院の莫高窟にて
道士・王円籙によって偶然に発見されたとされる。
(後に第十七窟・蔵経洞と名付けられる)
四畳半ほどの小部屋の中に、
漢語、チベット語、コータン語、ソグド語などで書かれた写本、経典、文献などが
数万点あり、
それらは敦煌文献または敦煌文書・敦煌写本などともいわれる。
発見当初はその資料的な価値が気づかれず、
イギリスの探検家オーレル・スタインや、
フランスのポール・ペリオなどにより国外へ流出し、
現在では
イギリス、フランス、中国、ロシア、日本、アメリカに存在するとされる。
なぜ、このような場所に
数万点もの資料が封じられていたかにはいくつか仮説があり、
・敵からの侵入、襲撃に備えて避難させた
・不要になったので廃棄した
などがあるが定かとはなっていない。
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と、ありまして、
難経との関わりというところでいうと
現在、ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクト・ペテルブルク支部に
所蔵されている資料が難経の中でも
初期の内容を保持しているのではないかと考えられているようです。
また資料が国を跨いで収蔵されていることや、
資料の分類が多岐にわたるため、
国や分野を飛び越えての研究が行われているとのことで
改めて「敦煌学」の奥深さを垣間見た思いです。
アイキャッチ画像:
『薬師瑠璃光如来本願功徳経断簡』 京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013482
敦煌出土の貴重資料です。






















