おはようございます。
林です。
最近、ニュースをみていますと、
アナウンサーは「これは本当に許せないですね。」などと
いちいち感想や意見を述べて報道をします。
この事に対して、ある種の恐さを覚えます。
世論の一般的な意見やインタビューの声などを
聞いていても皆、このアナウンサーが言うような事を
同じように復唱してるかのようである。
一つの事件に対して、報道する側の色眼鏡を通して言葉を発する事で、
この国全体が同じ色眼鏡をかけてしまっているように私には映ります。
報道ははただ情報を伝え、
受け取る側が己の眼と頭でしっかりと判断すべきだと思うんです。
今の状況では報道側がどのような色眼鏡をつけるかによって
国民の感情をコントロールできるからです。
実際そのようになってはいないだろうか。
小学生がインタビューを受け
先日のアナウンサーが言っていたようなことを言う。
大人が褒める。
子供は内心褒められるのをわかっていて100点の回答を答える。
あの子達はかしこいからわかってる。
子供は自由に考え、思う存分自由な発想をすべきです。
洗脳といっては言葉が悪いですが、
ただ ただ 恐いんですね。
この国一色にならぬよう。
民よ 自分で考えろ。
その眼は形を映すばかりでなく
気を捉える事が出来るはずだ!
 

17 コメント

  1. こんばんわ、いつもたいへんお世話になっております。診察時はとてもお忙しそうなので、ちょこっとコメントさせていただきます。
    わたしは以前、報道関連の翻訳・台本・演出の仕事をしておりました。そのとき肌で感じたのは、映像の編集次第で世論はいくらでも操作できるということでした。報道番組のキャスター一人でどうなる話でもないような気がします。
    子どもの自由な発想を妨げたくないというご意見には、まったく同感です。ただ、知的に発達している子どもほど、周囲の反応をうかがうのも事実です。子どもが自由に発想したままを自信を持って口に出すには、なんらかの訓練が必要かもしれません。ひょっしたら、自由な発想はずぅーっとお腹に隠し持っていて、大人になったらブチまけてやろうと考えている子もいるかもしれませんね。
    生意気なことをつらつらと書いてしまい、失礼しました。読んでいただいて、ありがとうございました。

  2. hickoryさま、
    コメントありがとうございます。
    本当は治療中にこういうお話や世間話でも出来ればいいのですが、
    なかなか予約が詰まったりしておりますと、
    集中して仕事をさせていただく事が
    患者様に対し我々の提供し得る最善の策だと思い、
    どうしてもこのようになってしまいます。
    申し訳ありません。
    報道関係の仕事されてらっしゃたのですね。
    書き込んでいただいたように
    確かに編集の段階でいろんな作り手の意思があるということなので
    僕の言っている事はトンネルの出口の見えやすい所に
    過ぎないのかもしれませんね。
    そう考えると非常に根が深いくも感じます。
    また、世論が操作出来るという意見には恐さを覚えます。
    ”子どもが自由に発想したままを自信を持って口に出すには、
    なんらかの訓練が必要かもしれません。”
    とのことですが、
    確かにその通りだと思います。
    ただ、その子供の考えている事を受け入れ、表現してもいいんだと
    いう包容力を与えて上げれるのも大人の努力なんだと思います。
    毎日患者さんを診ていると
    いろいろな人がいて、
    とても小さな事に過敏な大人、
    すぐに権利を主張する大人が社会で活躍されている方に多く、
    また、
    与えられる豊かさのうらはらに、
    その子供達の表現の幅が小さく萎縮してしまっている事が多い事に気付きます。
    そういったことに対して
    ただ、出来る事は、
    僕らに持って与えられ場。
    鍼を持った現場で やはりいい仕事をして
    道を貫く潔さと美しさを子供達に
    言葉ではない なにか違ったもので伝えたいと思っています。
    一生懸命は必ず伝わると信じています。
    貴重なご意見と体験、視点をありがとうございます。
    思いのまま留めず書いたので
    はちゃめちゃな文章かもしれませんがお許し下さいませ。
    こちらこそ、生意気な事を書いてごめんなさい。
    これからもどうぞ宜しくお願い致します。

  3. 林先生、コメントありがとうございました。先生のお考えがよくわかりました。おっしゃるように、周りに包容力のある大人がいたら、子どもはもっとのびのびと発想したり、表現できるようになるのでしょうね。そんな環境を整える努力、いままでしたことなかったなあと反省しました。いまの自分に何ができるか、身近なことから考えてみます。
    先日コメントさせていただいたときは、あるパーティーの帰りでほろ酔い気分だったのですが、アップされた自分のコメントを読み直してみて、その傲慢さに冷や汗が出ました。ご気分を害された方もいらしたのではないでしょうか。この場をお借りして、心よりお詫びいたします。

  4. ほろ酔い気分の時に書き込み頂いたのですね。
    歓迎ですよ。
    お詫びする必要ありません。
    ほろ酔い気分の状態だからこそ
    hickoryさんが素直に思ったことを書けたんじゃないでしょうか。
    それならば 酒もいい働きをしたと褒めましょう。
    それにしても
    僕はそういう状態のときには、
    身の周りの事や、酒の席での事、
    或いは 溜め込んでいた事を思い込む事が多いので、
    ほろ酔い状態のhichoryさんの心に
    私のしがない文章が少しでも何かを伝えたのだと
    思うとなんだかうれしくさえ思います。
    ありがとうございます。

  5. こんばんわ。
    先生、お許しいただいてありがとうございます。
    わたしはお酒を飲むとたいてい楽しくなってしまうので、
    素直というよりは、大きく出すぎてしまったようです。
    たいへん失礼しました。
    そうそう。
    最初に先生の手記を拝見してうかがいたかったこと。
    「気を捉える」って、具体的にはどういうことですか?

  6. 天地の間には、
    大地も空間にも人にも植物にも気というものが
    存在します。
    うさんくさい輩が"気”をネタに詐欺まがいのことを言う事がありますが、
    そういう輩の事は置いておいて
    言いたい事は明確に気は存在するという事です。
    本来の鍼治療とは気を動かす事を前提としています。
    我々が目に見えるものは無形の気の集合体であり、
    無形の気が集まる事で形(けい)を成し、
    それではじめて見えるのです。
    この気の段階で見えずとの感じることの出来る人がいます。
    います、と書きましたが
    本来、人は感じるはずです。
    鈍感になった人達
    頭でっかちになった人達はこの感覚を忘れがちです。
    しかし、それは嘘で
    感じているのに受け入れていないのに過ぎません。
    なぜならば存在が気そのものでもといた場所が
    気一元のそこに他ならないからです。
    子供達は直感的に感じるでしょう。
    動物達も感じています。
    道にも家にもありますよ。
    我々は、職業人として
    触って気の営みを感じるように鍛錬する訳です。
    気の流れを感じる事が出来れば
    嘘をついた人の表情を逃さないでしょう。
    建築物の建て方、物の置き方がわかるでしょう。
    あえて社会的に表現するならば善悪の判断がつくでしょう。
    形を捉えるはひとつ遅れている。
    無形の気が必ず先行するので
    一歩も二歩も早く 正しいのです。
    装飾にも惑わされないですし。
    そうあって欲しいわけです。

  7. 先生、とても丁寧な説明、ありがとうございます。漠然とですが、わかるように思います。気を捉えることの効用って、すごいんですね!
    先日、先生の鍼で「いまのは気が動いてたんだ」と感じることができました。わたしは先生に脈を取っていただくといつもとても落ち着くので、そのときにも気が動いてるんだろうなあと思います。
    さいきんは実家でのほほんと暮らしているのですっかり鈍くなっていますが、旅先では適度に緊張しているので、土地や建物や人や動植物の気をふだんより強く感じるようです。
    ですが、わたしは非常にバランスが悪く、感覚を鋭敏にしようとすると過敏になってしまう傾向があります。むやみに神経を疲弊させることなく気を捉えるには、どのようにすればいいのですか?
    お忙しいのに質問ばかりしてすみません。でも、思えばこれはここ数年のわたしの課題なのです。

  8. 脈を取るだけで治せれば理想ですね。
    でも 本当にそういう世界があるのです。
    僕らは職業的に感覚を研ぎすます訓練をしますが、
    しかし、その状態はむしろやや異常です。
    普通の人はそこまでする必要性はないです。
    仰る通り 過敏になりすぎてしまい
    現代社会で生きるにはその過敏さが諸刃の刃に
    なってしまいます。
    情報が多すぎて倒れてしまいます。
    僕は一時、
    見える世界が変わるからとほぼ一切の飲酒や肉食を5年ほど
    断った事がありました。
    感覚の世界に没頭して
    もっと もっとと研ぎすまして参りました。
    素晴らしい世界がありました。
    しかし 同時に危険な感覚がありました。
    精神は敏感になり過ぎ生きて行くのがつらくなりました。
    しかし、感覚は研ぎすまされ 
    そういった時の鍼や思考も含めて 
    "美しい"と思う気持ちが
    心の奥にいつもあり
    破滅と死の存在と薄皮を一枚一枚はぐかのような
    繊細な美しい世界がそこにはありました。
    が、生死に対するこだわりさえなくなり
    生きていたり、世の中の嘘に堪え難い状態になり
    つらかったです。
    物書きが急に命を絶つ事がありますが、
    非常によくわかります。
    危うい美しさと 死に対する美意識が生まれてしまうんですね。
    いまでこそ、多少息抜きを覚えましたが、
    そういう世界はオススメできません。
    人は少しちゃらんぽらんなぐらいが良いようです。
    また、
    素直に気の動きをとらえるには
    複雑化した現代社会のシステムと言う
    フィルターを外し、いたってシンプルな
    感覚に身を委ねる事です。
    うれしい事に喜び
    悲しい事に悲しみ
    怒り腹立つことに怒ればいいです。
    格好つける必要はないです。
    自然界に四季折々があるように
    人間にも感情があり四季の身体の変化が
    あるので委ねるべきでしょう。
    いくら知識をつけても身体の反応の方が
    ずっと早いんですね。

  9. 先生、ほんとうに丁寧なお答え、ありがとうございます。一行一行、深くうなずきながら読ませていただきました。先生の脈診や鍼を打つ場所を探られる様子を拝見するたび、「そうとう鍛錬を積まれたんだろうな」と感じていたからです。お酒や肉食を断ってらした時期って、ひょっとしていまより痩せてらしたのでしょうか? 恐ろしいです(笑)。
    わたしは職業上の不摂生から鬱を発症しました。ひどいときには、木の葉が揺れても泣くようなありさまでした。夢見が悪く、不眠に陥りました。ただ、そのころはたしかに感覚が鋭くなっていて、人の表情や世の動向のちょっとした変化を見逃さずに対応でき、それが功を奏したこともあったのです。そういう実感があると、こんどはその感覚を失うのが怖くて眠れなくなるという悪循環を繰り返しました。案の定、人間不信になり、人に会うことができなくなるまでになってしまいました。
    そんなときでも続けていたのが翻訳の仕事でした。仕事のスタイルがそもそも引きこもりだったのですが(笑)、仕事をしているかぎり「それまでの自分」を保つことができました。でも、言葉の世界はそんなに甘いものではありませんでした。ある映画の字幕を書いていたときです。内容は、コピーライターとピアニストの一家が親戚の少年を預かったことから引き起こされる家庭崩壊というものでした。わたしは登場人物のせりふを考えるとき、自分が役者になったつもりで口からブツブツせりふを言いながら書くのですが、その言葉の一つ一つが鋭いトゲとなって胃に食道に喉にぶすぶすと刺さって、血を吐くほどに痛いのです。先生のおっしゃるように、まさに「諸刃の刃」だったのです。やっとの思いで脱稿しても、クライアントとの打ち合わせや校正で原稿を目にするたび、またあの痛みが押し寄せてきます。「これでは仕事としてとても続けられない」と、休業せざるをえなくなりました。何よりも打ち込める仕事だっただけに、ほんとうにつらかったです。
    そのころは死への衝動がたびたび起こりました。実際に試したこともありました(笑)。でも、試してよかったのです。「なんだ、こうすればいいんだ」とわかったらなんだか安心して、それからは二度と考えなくなりました。
    その後、長らく離れていたピアノを弾きはじめ、再び学生生活に入り、先生のところへ通うようになり…。おかげさまで心身ともにずいぶん健やかになりました。ありがとうございます。でも、そうなると勝手なもので、また性懲りもなく感覚の世界に憧れてしまうのですね。
    こういう気持ちはなかなか収まらないのだろうなあと思いつつ、先生のおっしゃるように少しちゃらんぽらんに(もうなってるか)、シンプルな感覚に身を委ねてみようと思います。
    なんだかヘビーなことを書いてしまいました。失礼しました。こんなこと、だれにも話したことないのですが…。

  10. どういたしまして。
    少しでも伝わる所があったようでうれしく思います。
    こうやってお話させていただくと
    自分が普段診ている患者様でも
    患者と施術側といった関係を超えた所に
    その方の歴史があり、
    その方の社会的なポジションがあり
    その苦しみや喜びがあることに対して
    いろいろな気付きがあり新鮮に思います。
    そう思うと夜、街を望み
    夜景を構成するただ一つの灯火が持つ
    けなげだけれども そこにあるはずの
    厚みや重さがしっかりと存在する事に不思議な感覚を抱かざるを得ません。
    hickoryさんもいろいろと仕事をしてこられたのですね。
    有名人であったり
    第一線で活躍されている方であっても
    僕はどうもその辺が疎いみたいで
    気付く事も無く仕事させていただく事が常のようです。
    無礼もあろうかと思いますが
    仕事は真面目にやっておりますのでご容赦下さい(笑)
    僕もhickoryさんと似た所があるようですね☆

  11. 無礼なんて、とんでもない!こちらこそ、いつもほんとうにお世話になっているのに、鍼をしていただくとリラックスしすぎて(笑)、口頭ではきちんとお礼が言えていません。ほんとうにありがとうございます。
    だいたい「有名人」とか「第一線」なんていう華々しいものではぜんぜんないです。どこまでも地味~で、労の割に身入りの少ない仕事です。でも、だいすきでした。いまでも未練たっぷりなので、ついくどくどと書いてしまったのだと思います。たいへん失礼しました。
    ひさしぶりに過去のことを振り返り、「けっこう客観的に見られるようになったな」と思っていたのですが、すぐに当時のモードに入ってしまってたようです。脈にも現れていたみたいで、びっくりしました。鍼をしていただいたあとは、夢も見ずにぐっすり眠れるようになりました。ありがとうございました。
    先生と似ているところは、きっといろいろありそうです。先生のArsenalのジップアップ、かっこいいですね!

  12. 完全にオフのところ見られてるわけですね。
    お恥ずかしいです。
    休みはサッカーをしているので気を抜くと
    クラブチームのああいうものを着てたりします。
    椅子がお好きなんですね。
    一鍼堂の椅子達も気に入っていただければ幸いです。
    古い物でどこの誰の作品なのか定かでないものが多いですが、
    良い出会いがありつれて帰ってくる事が多いです。

  13. 先生、しっかりオンでしたよ(笑)。院外で先生をお見かけしたことは、まだないです。ご安心を。ちなみに、先生のポジションは?
    一鍼堂の椅子はどれもかわいいですね。おしゃれで温かみがあって。さいきんは1Fにしかおじゃましませんが、2Fの椅子たちもとても好きでした。うちの椅子も、古いものに布を張り替えたのが多いので、なんだか親しみがわくのです。
    先生のお気に入りのアンティーク家具屋さん、よかったら教えてください。

  14. 私はサイドとトップを半々ですね。
    おすすめのアンティーク屋さんは、
    待合室の黄色い中国の本で
    『内経』と書いてある本の
    P518の玉機真蔵論篇 第十九というページに
    パンフレットをこっそり仕込んで置きますので
    見つけて下さい★
    椅子達を気に入ってくれてうれしいです。

  15. ふふふ、手の込んだことを。では、こんどおじゃまするときに、ゴソゴソ探しますね。
    そうか、先生はFW顔かも。憧れの選手はいますか?

  16. FW顔ですか。何だそれ(笑)
    憧れの選手は正直言っていません。
    実はサッカー長い事やってますが、
    テレビであまり観ないんですね。
    だからミーティングだとかで選手の名前が出ても
    わけわからんです(焦)
    見る時間もなかなかないので
    一向に覚えません。
    ダメですね。

  17. 「視野の広いMF顔」ってのもありますよ。目と目の間が離れてて、目が横に長いのです。あくまで自説ですが(笑)。
    きのうは4日ぶりに朝まで安眠できました。うれしいけどさみし~。

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