人は完璧な存在だという言葉を耳にする。
果たしてそうだろうか。
僕はそうは思っていない。
本来、完全な場所にあったものが、
男と、女という一対のピースに砕かれて
我々は、失ったものを取り戻すかのように
相求める。
故に、完全な存在としてありえるのは、
生まれる以前、死した時、そして、
男と女がひとつに結ばれる瞬間においてではないだろうか。
我々は
そもそもの一なる存在から枝分かれした
存在で有り、
その上で空間軸や時間軸という鎖を与えられた。
一つの身体という内においては
陰陽に分かたれ、経(や絡)なるものを与えられた。
故に、生ある人は一人の個として不完全な存在で有り、
完全な場所である極点で
始点と終点をむすばれたねじれた紐のような構造を与えられた。
そのように思うのです。
そもそも完全であれば、作用も形も維持する必要さえなくなる。
人も宇宙も不完全なまま、完全な場所に挟まれながら
呼吸を続けている。
しかし、身体の奥底、宇宙の内においても
不完全な領域に有りながら
完全なる場所を、そこにつながる極点を
その内に仕込まれている。
そこ内なる一極が、
無言にして
大いなる贈り物であり、
大いなる遺言であると感じている。
未完成でありながら、全く無駄のない。 であるからはかなく、美しい。
























先生今晩は。またまたとりとめのないコメントをしてしまうと思いますがお許しください。
私も、人は完全ではないと思います。
そもそも、完全であればこの世に生まれてくる必要もないような気がします。
先生が書かれている内容とはずれるんですが、人類が一番高等な生き物である、みたいなこという人もいますよね。
それに関してもすごく疑問・・・。
確かに脳の構造は一番高等かもしれませんよね。
だけど、それがすべてなのかな?と。
人類がしている行いははたして高等といえるかなぁ?そうじゃないような。
あ、やっぱりとりとめなくなってきました~。
でも、先生の記事を読んでると、なんか、コメント書きたくなりまして。
失礼いたしました。
僕もそのように思います。
いつでもお書き下さい。
すべての生き物が生態系の中で
それぞれの必要な役割があります。
人が生態系にとって必要である第一の理由って
なんなんだろうと考えてしまいますね。