
お久しぶりです。
久しぶりの院長日誌の投稿です。
さて。
創業してからずっと私が
前線に立ち陣頭指揮を取っておりましたが、
当時、23歳の若さで一鍼堂を立てた私も、
悲しいかな、
いつしかすっかり若者では無くなりました。
勉強生が増え若い衆の出入りも増えた経緯もあり、
当然ながら、彼らの中で
「俺ならこうする。こういうところに納得が出来ない。」
と心にそういう思いを持つ者も少なからず出て参りました。
当然と言えば、当然で、
それも彼らの成長過程で無くては成らない過程だったようにも確かに思えます。
「それなら一度、自分たちで考えて自分たちで行動してみろ。
やってみせろ。」
という方針を立てて、
私は自分の仕事に集中して、
彼らに多くを任せて一歩控えながらの運営し、約10年程が経ちました。
自分が想像出来ない景色を見たかったからという事もありました。
しかしながら、
実際に何が起こったかというと、
どこかで徐々に一鍼堂らしさが失われ、
私が創業した際の熱のようなものが継承されていないという
事実に気付かされる数々の事象が現れました。
一人ずつが納得して働くことによってこそ、
組織はあるべき姿に成熟するという彼ら、彼女らが提示した
ものはそのような景色を成すことには至らず、
知人が私に残した
「いつだって特定の誰かのパッションによってものは成されるのだ」
という言葉が私の胸に深く突き刺さる結果となりました。
私は、それを否定したかったのですが、
それは叶いませんでした。
一人一人が自由に歩く事によって現れる集合知よりも、
一定の舵を示してそれに従って各人が求道的に歩むということの方が
我々にとっては必要だという結論に至ったわけです。
そういう理由で、
一鍼堂は、教育制度、広報のあり方、
組織の編成、臨床の指針、臨床技術の監修など、
すべてを私の指揮のもと目を配り運営するという
方針に切り戻してここ数ヶ月歩んでいます。
こらからの景色をどうぞ楽しみにお待ち下さい。
多くの依頼に向き合う毎日ですが、
技術にも、学問にもまだまだ納得出来ていないこともあり、
道は永遠に続きます。
理想のためには変わり続ける必要があるという私の考えと、
変えてなるものかというしがみつく人間の行動が
衝撃音を立てるような出来事も続きましたが、
10年任せましたから、今度は違うターンです。
良い未来を。
はり師は性質上、自我の強い一匹狼の集まりです。
但し、言いたいのは、
治療家が主役なのではなく、患者が主語だということです。
僕たちは黒子に過ぎません。
全うします。
腕を磨いて待つだけです。
はやし























