下野です。
以前に『黄帝内経 素問』の謎という記事を書き
そこでは『素問』の分類分けを大まかにですがご紹介致しました。
今回は特に議論になっている?
『黄帝内経』=『素問』『霊枢』というものをご紹介します。

そもそも
なぜ『素問』+『霊枢』=『黄帝内経』になったかですが、
『漢書』という歴史書に
『黄帝内経十八巻』という記載があったのが始まりで、
後に晋代の皇甫謐が
自分の手元にあった現『霊枢』に類似した『鍼経』九巻という書物と、
『素問』九巻を使用して『甲乙経』を編纂し、
その序文に記したところから
『黄帝内経』=『素問』『霊枢』になったと考えられます。
※『甲乙経』は『素問』『霊枢』『明堂』という三部を合わせたものになります。

ただ面白いのが、
『傷寒雑病論』の張璣は『素問』と記し、
また孫思邈も『千金方』の序文に
『素問』『甲乙』『黄帝鍼経』『明堂』というのを記しており、
これを普通の感覚で言えば
『黄帝内経』『甲乙』『明堂』とすればええやんと思うわけでして、
言い換えれば夫々やはり別物ということでしょう。
又『素問』と『霊枢』では
登場人物や重要な言葉(と書いていいか微妙ですが)、
文章の書き方が違いすぎるという点も挙げられます。

ただそれでも経典なる『黄帝内経』は
『素問』『霊枢』というものを打ち崩す決定打がなく、
現代でもそのままとなっております。

僕自身は
正直 『黄帝内経』という書物は
まだどこかの地中に眠ったままの状態で、
『素問』『霊枢』は全く別物だと感じております。
ただ『素問』『霊枢』も一経典であり、
非常に大切な書物には変わりはないと思います。

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