院長日誌



大阪府豊中市寺内の鍼灸院 一鍼堂

日常出会った心に響いた言葉を少しずつ紹介していこうと思います。

皆様の心にも響くものがあればと思います

大阪府豊中市寺内の鍼灸院 一鍼堂


道可道、非常道。
名可名、非常名。
無名天地之始、有名万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。
此両者同出而異名。
同謂之玄、衆妙之門。


                            老子の言葉より


道可道、非常道。
名可名、非常名。

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。
無は天地の始めに名づけ、有は万物の母に名づく。
故に常に無はもってその妙を観(しめ)さんと欲し、
常に有はもってその徼(きょう)を観さんと欲す。
この両者は同出にして名を異にす。同じくこれを玄という。
玄のまた玄は、衆妙の門なり。



あなたが真の「道」だと考えている道は絶対不変の道ではなく、
あなたが大事にしている「名」(ことばや、価値観)は絶対不変の名(ことばや、価値観)ではありません。
今、我々が常識だと思っている当たり前のことも、
一昔前の常識とはまったく異なり、
例えば海外の或る国に行けば、掌を返したようにそれが非常識とされます。
私達の善と考えている行為も、或る部族にとっては、
悪の極みであったりするかもしれません。
私達は当たり前のように服を着ていますが、服を着ること自体が、白い目で見られる国もあるのです。
中古車屋さんで、ゴミ同然に扱われている古い車も、ほんの少し前には新車として
スポットライトを浴びていたはずです。

万物は流転するという言葉があります。
道や名(ことばや、価値観)としているものは、コロコロ時代や場所とともに変化するものであり、
決して、絶対的のものではありません。
常に相対的なものであるということです。

では、この世に「絶対的なもの」が果たして存在するのでしょうか。

そこで、無名天地之始、有名万物之母です。
私達は、各々が奇跡を重ねてこの世に生まれてきたわでですが、
其の奇跡のみが唯一の絶対的な真理であると老子は言っております。
そこには、難しい価値観などは一切存在しません。
あるべくして、ある。
ごくごく自然に、です。
名(ことばや、価値観)とは、所詮我々が作り出してきた社会のルール、決め事に過ぎません。
そんなルールは、私達が存在してきた尊さに比べれば取るに足らないのではないかと。

ここで、勘違いしてならないのは名(ことばや、価値観)はどうでも良いのだと言っているのではなく、
名も重要ですが、それはあくまで相対的なもの、
一つの処世術として、使いこなせば良いのです。
しかし、絶対的なことではなく、うつろぎやすいものでということを
常に意識しなさいと忠告してくれているのです。
逆にこだわり過ぎて、名を排除することは、
老荘を学んだものが良く陥ることですが、老子の意思に反することでしょう
禅問答のようですが、
名に何こだわらないと、こだわりすぎる事が
大きな一つのこだわりです。
老子曰く、絶対的な価値観は万物之母にあり。
これは、生み出す力の象徴です。
人の中でも子を生む母性こそが唯一の絶対的な真理だと老子先生は仰います。
この生み出す力は創造する力そのもの。
この力を古の人は直感的に感じて、あらゆる名で呼んできました。
それもあらゆる国で、あらゆる宗教、文化で。
時に創造主と呼ばれたり、神と呼ばれたり、奇跡と呼ばれたり。
実は元々が一つのものです。

常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。
(常に有はもってその徼(きょう)を観さんと欲す。)
無とは者を生み出す力。妙は命のいろいろな姿と言えます。
同じことを何度も繰り返し述べております。
善悪の価値観さえない生命というものを見つめ直し、その命のいろいろな姿を見なさいと。

有とは物を消滅する向きに向かわす働きであり、
無を唯一絶対的なものとすると、無は価値観と考えてもよいと思います。
はガチャガチャになることです。
毎日がせわしなくイライラしている状態。
世間の価値観のスピードはとても早いです。とてもとても早いです。
人間の生のスピードよりもずっとずっと早く感じます。
人間が歩いて何日もかかるような場所に、一瞬にしてメールを送ることも出来ます、
声を届けることも出来ます。しかし、そんな世間の価値観に生きていると、
人は自分の描いているスピードに追いつけなく、もどかしい為に、
いつも腹を立て、いつでも満足することが出来ない底なし沼に陥ってしまいます。
例えば、一鍼堂に来院する時でも、やれエレベーターの場所が気に入らない、
坂が嫌だ、暑い、寒いと不平不満を言えばキリがありません。
しかし、すこし昔の人からすれば、電車があるというだけで、
あまりの便利さに天にも昇ったように喜ぶことでしょう。
そういう状態で心が不満や怒りでガチャガチャしている。
それがで徼す。
世間の価値観の中で生きると、そこには常に徼の精神が付きまといます。

此両者同出而異名。
(この両者は同出にして名を異にす。)

善であることは、同時に悪であるということです。
無とは物を生み出すもの
有とは物を消滅に向かわせようとするもの
両者は実は同一のものである。
無と有は等価値 生と死は等価値です。
また、無は常に有(現象)として現そうとし、有は常に無に帰そうとします。
これは東洋医学の陰陽論にも通じてきます。
美は同時に醜であるとも言えます。
作用と反作用
この感覚は、あらゆる職業の、その道を極めんとする人には
直感的にピンと来るのではないでしょうか。
そのように感じます。
世の中には、人を善と悪の二つの存在に分類しようとする人が多くいます。
自分が善であると信じきった人には、悪を叩き潰すことが正義だと強く信じるでしょう。
その人は悪は絶対的、不変の悪だと考えているのだから。
しかし、老子が言いたいのは、
善も悪もない。
善や悪というものは、その環境の中の一つのものさしに過ぎないということです。
すべての事象は相対するものがあって始めて存在しうる。
悪と信じて憎んでいた相手も同時に善の心を持っているのだ。
また、自分の正義の中にも常の同じぐらいの悪が存在します。
そして、善と悪は我も彼の中でも行ったり来たりするもの、
それが東洋の示す自然の大法則です。
ですから、自分が善で、相手が悪だと考えるのは非常に盲目的な考え方だと言えます。
それに気付くだけで多くの争いが世界で無くなるのかも知れません。
そうあって欲しいです。
私にも、あなたにも善も悪も喜びも悲しみも恐れも怒りもあるのです。
それらが合わさって一人の人間です。
唯、消すことの出来ない煩悩を有した存在ではあるが、
常に良い心に重心を置いた人生でありたい。
どうやらそれが一つの悟りのようです。

同謂之玄、衆妙之門。
(同じくこれを玄という。玄のまた玄は、衆妙の門なり。)

玄は幽遠なところ。
奥深いところ。
生命はいわば玄です。
玄のまた玄、奥のまた奥を名づけて衆妙の門と言うわけです。
以上。

有名な孔子は、これとは相対的な思想です。
割と価値観を重視して、礼儀を正すことや心の持ち方を教えとくのが孔子。
この孔子は非常に日本では有名ですが、
実は、孔子が老子に教えを請うたという有名な話もあります。

老子のこの一文は
一番最初に紹介した言葉と共にいつも私を支え、導いてくれました。
この言葉でいろんな誘惑にも負けずに
ただひたすら鍼灸の道を志すことが出来たのだと改めて思います。
言葉足らずですがすこしでも伝わればと思います。

              (’06.11.10)





神戸花鳥園にて。




真人の息は踵をもってし、衆人の息は喉をもってす



               「荘子」より


東洋と西洋での「呼吸」における考え方の相違

  西洋医学:解剖学的に肺臓とそれに付属する気道とを呼吸器官と見る

東洋医学:丹田(臍の下)を中心においた腹式の呼吸を意識し、
 またそこに解剖学 的な器官は見られない。

座禅もヨガも、この丹田を常に意識し、丹田の力で吸気を納めるのだと考える。

ここに面白い言葉がある。

「真人の息は踵をもってし、衆人の息は喉をもってす」

これは中国の哲学者荘子の言です。

丹田への気の流れは、人が自らを内観して
初めて気付く気機の働きです。

西洋のそれは形をものさしにて、

東洋のそれは形ではなく、働きを常に意識してきました。

本当に良い呼吸は深くゆったりとしていて、よく下腹部に納まります。

また、せかせかしていたり下半身の力が弱ると
浅い呼吸しか出来なくなります。

ストレスが溜まって、吸気が収まらず
胸につかえるものを梅核気と呼びます

解剖学的に異物は確認出来ませんが、

本人は気の詰まりの為に、言葉の通り
梅のタネが胸に引っかかったような異物感を感じます。

仙人のような踵で呼吸しろとは言いませんが、
ゆったりと下腹部に収まる呼吸をしましょう。

 
            (’06.10.19)


言不可治者、未得其術也。

(治するべからずと言う者は、いまだ其の術を得ざるなり)

                             『黄帝内経 霊枢』 九鍼十二原篇より 


治せないというものは、その病を治す方法を未だ知らないだけなのだ。
と、こう先人は教えてくれています。
まさに其の通りだと思います。

目の前に効果の上がらない患者がいた場合、
治らないのではなく、治す術を知らない。
つまりは勉強不足なのだ、ということ。
治らないと宣言するということは非常に傲慢だということ。
心に深く刻み日々学んでまいります。
治療家として、
治せない病を一つでも多く減らしたい。

                  ('06.10.14)




神戸花鳥園にて。


高慢を愛する人は、この世で心身を制することがない。

心を統一しない人には沈黙の行がない


                      岩波文庫『神々との対話』より
                     ('06.10.10)



孔子曰く、良薬は口に苦うして 病に利あり

忠言は耳に逆(さかろ)うて 行いに利ありと

故に武王は諤諤として昌(さか)え

紂は嘿嘿(モクモク)として滅びぬ

君に諤諤の臣無く 父に諤諤の子無く

兄に諤諤の弟無く 夫に諤諤の婦無く

士に諤諤の友無きとは 其(その)亡せんことたちどころにして待つべし


                               『説苑』より



良薬口に苦しの出典を見ていたら思わぬところに収穫がありました。

以外にも良薬口に苦しの後が素晴らしい
良薬は口に苦いが 病を治すには利がある。

忠臣の言葉は聞き辛いものであるが 行いの上においては利がある。

それ故に、周王朝を建設した武王は直言する臣下により栄え
殷王朝の紂王は、黙ってものを言わない臣下の故に滅びたのであり、

ことの是非善悪を誰はばからず直言する諤諤の人が身近にいないと
没落するのは当然である。

と、荒井保男先生はその著書で書いておられるが、
確かに、反抗期の子を持つ親が、
子と共に成長するというのはよくあることである。

一鍼堂にも、二人の勉強生がいますが
彼らもよくよく学び、諤諤の徒となってもらわねばな、と思った。
私の方も諤諤の言を受け入れる器を持ち合わさねばならないのだけれども。
まあ、修行ですね
          ('06.10.7)



信は、この世において最高の財である

徳をよく実行したならば、幸せをもたらす

真実は、実に諸々の飲料のうちでもすぐれて甘美なるものである

明らかな智慧によって生きる人を、最上の生活と呼ぶ

(地から)上昇するもののうちでは種子が最上のものである

(空中から)下降するものどものうちでは、雨が特にすぐれている

歩み行くものどものうちでは、牛が特にすぐれたものである

語る人々のうちでは、子が特にすぐれている


                       岩波文庫『神々との対話』より

最後の一文、まさに言い得て妙である
                   ('06.10.06)




新千里西町公園にて。



法を拠りどころとし、自己を拠りどころとせよ

法を灯(ともしび)とし、自己を灯(ともしび)とせよ」



過去の日記より。
釈迦の遺言とあります。出典は不明です。

大変、深い言葉です
いつもこの言葉が僕の心にありましたので
これを紹介いたします。

東洋医学は人の体を小宇宙とみます

法とはこの世を動かす大きな法則のことですね

我々、鍼灸師は自己、一つの小さな生体の中に
この世の大きな法則の縮図を見い出します

人も宇宙と同じなのだぞと言っているのですね

科学などの世界でも細かいところを研究していくと
原子など行き着く先はでは宇宙と同じ営みが
見えてくるのを知っていますか

人は所詮動物
自然界の法則に法って生きています

治療とはその向きを正すこと。

えらく宗教的になってしまいました。

これを一つ目とします。

('06.10.5)